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お金の心配の要らなさや見せかけの寛容さより、愛情や心からの心配、誇り、繋がり、理解が欲しかった。

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お金の心配の要らなさや見せかけの寛容さより、愛情や心からの心配、誇り、繋がり、理解が欲しかった。

親に会って好きなことに使いなさいと生活費とは別のお金を渡されるたびに
嬉しいはずなのに
そのこと自体や感謝よりも先に
「あ、生き延びるための資金が親から出てきた」という感想がまず出てくる。
姉が親のクレジットカードでのネットショッピング中毒に陥っている理由が、なんとなく分かるようになった。
数年前、姉の二十歳の誕生日のとき、姉へのプレゼントの指輪が某有名ブランドのものじゃないからと、誕生日会をしている最中に姉と母親が大喧嘩し出したのを思い出す。

「お前が好きなことを選びなさい」
といってはくれるけど、実のところ私に興味がないか、あるいは向き合うのを避けているだけなんじゃないかと思ったことがよくある。
よく言葉にできない。
でも、なんか、ノックしても絶対に開かない扉みたいな、そんな感覚だった。

そのくせ扉を隔てた向こう側から
楽しそうで中身のなさそうな、あるいは
自分たちの内面とは直接関係なさそうな
そんな事柄ばかりが話題に選択されて
まるで自分たちには何の問題もない
とでもいうような、能天気な喋り声が聞こえてくるのだった。

きっとおおらかで豊かな家庭だったはず
私もそういう風に振る舞ってきた、けど
最近はその自信がなくなってきた。

虐待しなかった。自由にさせてくれた。お金に不自由させなかった。楽しく会話をした。あまり怒らなかった。
相談に乗ってくれなかった。強迫症で過干渉の姉から私を庇ってくれなかった。内面的な話を「よく分からない」といってしようとしてくれなかった。負の感情を否定された。怒るのはいつだって本当は自分のためで、そのラインさえ守れれば興味がないみたいだった。

家族と一緒にいて、いや生きてて、心から楽しい、心から安心できるって思えたの、いつが最後だろう。

小さいとき親の帰りが遅くなる晩、なんだか怖くてひとりで眠れなくて泣いてたことがあって
それで親が帰ってきたとき母親に
「一人で寝れなくて泣いてたのお笑」と
もうしょうがないなあ〜みたいな感じで
よしよし〜みたいな扱いを
笑いながらされたことがあったのを
なぜだかよく思い出す。
なぜかって多分、思い出すたびになぜか
無性に腹立たしくなるから。
それはまたなぜ? 分からない。
でも、その記憶が反芻されるたびに
「お前(母)ごときがそんな反応をすることは本来許されないんだよ」
という感情が理不尽にも湧き立ってくるのを感じる。

そういう記憶のためなのかなんなのか、だから家族の前で感情を顕わにしてしまうようなことがあると(抑えきれずに涙が出るなど)ひどく屈辱的な気分になる。家族以外や一人で泣くときはそんなことはないのに。
しかしいつからか、そんな涙も枯れた。未整理な感情が家族の前で飛び出すときだけ私は涙を流して、そしてひどい屈辱感に苛まれる、それだけになった。

泣いていたあの夜のように笑い物にされるか、あるいは面倒なものとしてまるきり無視されてしまうことを、よくよく知っていたから。
それくらいなら、最初からないかのように振る舞ってしまう方がずっとマシだった。

まあ、仕方がない。そういうのが無理な家庭に生まれてきてしまっただけ。
逆にそれ以外なら、十分過ぎるくらいに私は恵まれている。ちょっと思春期に家庭内で刺激的な経験をしただけの、よくいる放任主義の家庭の甘ったれている娘として。

誰も私のことを守ってくれないなら、じゃあ私が私のことを守ってやればいい。
本当にそれだけだった。
そしてそれだけのことを実行してきた
いままでは。

いまさらなんのつもりなのだろうか。
ただの自然災害(ですらないかもしれない)にブチギレてるとか、頭おかしいんじゃないのか。
キレても仕方がないことにキレている。
まあそのキレも、こうやって冷静に考えてることを喋れるようになってからはだいぶ消化された気はするけれど。

はじめは家族のことについてこうして他者に開示することすらためらわれた。
そのときはまだ、激しい自己否定かあるいは激しい他者への怒りしか表現することができなかったからなおさら。

外で蝉が鳴いている。
子供の頃の遠足のお昼時、バカみたいに蝉がみんみん鳴いてたのを思い出した。
私は当時から周囲から浮いている人間だったので、博物館見学もお昼ご飯もひとりだった。いや、周りの子が優しかったからお昼は一緒に食べたんだっけな。
あのときの私には、未来の私がこんな風に自分の家族を断罪していることなど、想像すらつかなかったに違いない。

そういえば、そのときの私は根拠もなく「私はきっと26歳までは生きられないだろう」なんて考えていたっけ。

実に非現実的で子供の空想的な発想だけれど、まあ、その直感はなんとなく分からないでもない。
今でも状況次第では案外あっさりぽっくり逝ってしまいそうな感覚があるから。下手したら26歳どころか、お酒が飲める年齢になるまでに。

でもそうだな、今になって思うのは
私は存外に自分自身に対する執着心が強いから、きっとそうなったらなにをやってでも救いを求めて行動するんだろうなってことだ。
使えるものはなんだって使って、意地でもこの世界にしがみついて生きようとしてしまうだろう。「それ」はかならずどこかにあるはずだと盲信して。
そういう性格だった。

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