前々からそうじゃないかと思っても、具体的にこうなったらそうなんだというものがないで、ただ鬱病だということで人生の後半生きていました。
でも、本当はそうじゃないんだって。薄々感じていました。他の人は鬱病だけじゃないから、躁うつ病、双極性障害だろうなんて言ってましたけど、自分のことだから、病名とそれらの症状の違いはわかります。
全然、お金の使い方が荒くもならない、気持ちの高揚感もない、むしろ鬱病と違うベクトルの落ち込み、この世に自分が本当にいるのか、誰がそれを認めてくれるのか、という哲学的な堂々巡りが私の場合は起きていました。
人によってどうなるかは違います。
勇気が出なかったんです。どうしてそうなったか、原因を認めたくなくて。
でも、もう私の人生も折り返しが来てる、だから確かめたかった。
他にも同じ人がいますよって。
PTSDとかフラッシュバックとか、名称にこだわったってしょうがない。
過去に起きたことがくつがえらない以上、今のその症状は変わらない。
一生抱えて生きていくしかない。
そう言われました。
でも、軽減するために、こうやって吐き出せばいいということや、私のように波のあるタイプは冷静な時に、自分でこれができたというものを作っておけば、次に恐怖に襲われた時に、少しでも救いになる。
とか、教えてくれました。
原因は虐待ですが、他の小瓶にも書いたんですけど、直接的な虐待に加えて精神的虐待の方が私には強く傷となって今もあります。
途中でなにか救いになるような出来事もなく、さらに親からの別の傷を加えられ、大人になってからも病院に行くほど殴られたこともあります。
そのことは私の中では割り切っているんですが、人が聞くと、そういうこと驚くんですね。
私が受けた傷はもっともっと別のもの。深くて血が止まらないもの。
一生の傷を親から与えられた、本当はいらない子供。それが私。
だけど、その親をこっちが捨ててやる。私は残りの人生を苦しみながらでも、もう支配されない。
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本当にやるせません。
我が子と同じ状況に遭われていて、読んでてとても切なくなります。
私は子供を連れて離婚しました。
本当に本当に世の中には、とんでもない大人がいますよね。
私が小瓶を拾うのは、そんな我が子との日常生活がうまくいかないからです。虐待から抜け出したと思えば、子供はどっぷり土台で影響を受けたあとで、なんて言っていいか。感情のコントロールが上手いこといきません。
いわゆる発達性トラウマの症状が強く出ています。
イライラが爆発して、家族に攻撃してきたり、物を壊したり。でも、その後その時のことを覚えていません。
頭を床に打ち付ける自傷行為も過去にありました。
自分を攻撃してくる我が子が嫌で居た堪れない状況に多々なりますが、同時に、不安にさらされてきた我が子の幼少が不憫です。子供の幼少期に戻り、やり直したい。虐待する親は省いて。
申し訳ないけれど、経験のない人には虐待してくる相手の異常性な様を心底感じるのは困難でしょう。大変だね、と口では言いますが、実感はともなわない。仕方のないことなのですが。
どんなに虐待してきた相手をい恨んでも、体験の書き換えが出来ずに苦しいです。傷を負ったまま生活しています。
でもね、私は我が子をはじめ、少しでも後遺症を改善したいといまももがきながら前進しているところです。
色々な人と話して、問題を共有して、記録を残して、先の改善につながることを願って止みません。
支配されない、あなたのその言葉はどんなに我々傷を負った者たちの勇気になることか。
あなたが強い決意で臨むのを応援している者は、ここにも居ますよ。
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