久しぶりに、あてめを覗きにきた
なんだかすごく変わった
書きやすくなったところも、書きにくくなったところも、時代の流れなのであろう
1番変わったことは、流れてくる小瓶主さんの名前に心当たりがある人が誰ひとりいなかったことだ
あたりまえだ
きっとあてめを使うに人も増えただろうから
そして昔辛くてここで逃げ道を探していた人も辛くなくなったのか新しく別の場所に移ったからだ
昔お世話になった人のアカウントを見に行ってみた
受験だったり、辛かった現実を乗り越えたりしてあてめから離れていってた
1度、1つの点に向けて進み交わったものが、それぞれ新しい方向に向き始めた
仕方がないことだった
理解もしていた
だけどやっぱり悲しい
あんだけ死にたがってた自分を、死にかけていた自分を生きる道に導いてくれた
そんな人たちに再度お礼をすることが出来ないから
そして、もう1度助けを求めることが出来ないから
あの時のおめでとうというひと言
あの時の大丈夫だよというひと言
あの時のありがとうというひと言
あの時のごめんというひと言
全てもう聞くことが出来ない
そのひと言に救いを求めることが出来ないから
過去の言葉を振り返って
昔まだ辛かった頃を覗いてみて
昔辛くなくなった後のことを覗いてみて
泣いて、意味のないことを考えて
ため息吐く
貴方は数年後もここにいるのだろうか
貴方の周りの人間は数年後もここにいるのだろうか
今ここで過ごす日常化した日々はいつまで続くのだろうか
未来でこの日常を振り返ったときに笑うことができるのだろうか
ここだけの話ではない
学校、職場、家庭
それぞれの場での話でもある
貴方はこの先、今の日常をどれほどつづけられるのだろうか
よく考えて1つの行動に責任を持ち
1つの発言に意味を込めて欲しい
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こんにちは。
私も7年前ここにいて、ちょうど昨日、ふとこのサイトを思い出し、久しぶりに戻ってきた者です。
主さんがいつの時代の方かは分かりませんが、そのお気持ちはとてもよく分かります。
私も、たくさんの方に救われ、たくさんの方を救ってきたと思います。
「お礼を言いたい」「またあの時のように、あの人と話したい」
そう思うこともあります。
でも、それを叶えるのは難しいことですね。
それでも、誰かを救った、誰かに救われた、そんな記憶は今でも心にしっかりと残っています。私は、その記憶に支えられて今も生きています。
時間が過ぎて思うのは、「当たり前」なんてどこにもなかったんだな、ということです。
「当たり前」は、過ぎ去ってはじめて分かる宝物でした。またいつか、思いがけないかたちで誰かと交わることを願って、今日もここにいます。
ななしさん
私も何年も前にあてめにお世話になって、久々にあてめを開きました
出会いもあるから別れもある
当たり前のことなんですけど、やっぱり知り合いを見つけることができないと悲しいし寂しいですよね…
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