叱られました。
叱られて当然のことなのです。
悪気は無いことであっても、よくはなかったことだと思います。
呼ばれて確認された時、少し強張った表情をしていました。
でも私が事実を認めると、少し困ったような、少し優しいような表情に変わりました。
きついことも言えたと思います。
敢えて傷つける言葉を投げることも出来たと思います。
でもとても言葉を選んでくれていたことがわかりました。
私が傷つかないように、厳しすぎないように、苦心してくれたのがわかります。
善意なんだと思う。でもそれはやるべきじゃなかったかな。どう受け取られるかわからないからね。
そう困ったような、でもどこか優し顔をしていました。
正論です。
それくらい分かるだろう、それくらいしてくれよ、俺の立場も分かって欲しい、余計な面倒を起こさないで欲しい、傷つけようと思えばどれだけでも責めることは出来た。その人は合理的で、正しく、優しい人だから慎重に言葉を選んでくれたことを知っています。
私がショックを受けたり、ひどく落ち込まないように、自分を過度に責めることがあることも知っているから、場所や言葉も選んで最低限だけ伝えてくれたんだろうな、そう思います。
その人は、忙し中で、後輩への配慮を忘れず、必要な時間を割いてくれる人です。
別に仕事の話もありました。
とても忙しい人です。時間はありますか?大丈夫ですか?と、色々話したい私が心配そうに聞くと、大丈夫だよ、あんまり時間無いけど◯時までなら、そう譲歩してくれるところも。
あっという間なのです。
話したいことの半分も話せてないのに。すぐ時間が経ってしまう。
そろそろですよね。ごめんなさいね。
そう返せば、俺こそ時間取らせてごめんね。そう笑ってくれる人。
本当は、もっともっと話していたい。仕事の話が楽しいのもそうだし、その人とそうしていたいのです。
その人の頭の回転も、知識も。
その人の相槌も、話の合間も。
優しい話し方も、良く笑うところも、感情表現が豊かなところも。
私はこの人以上に、話していて楽しい人を知らないのです。
嫌なところがない、意見が合わなくても、それでも建設的なところに持っていける。
でも、私は、その人を過度に拘束してはいけない。
いつまででも話せるから、話していたいから、だから話を切り上げるんです。
私だけが舞い上がって、この人に負荷をかけるのでないかと怖いのです。
好きバレして、関係が悪化するのでないかと怖いのです。
良き隣人でいたい。愛すべき、たくさんの後輩の一人でいたい。
人を好きになるなら、こんな風に誰かを好きになりたい。
ずっと側にいたいから、もっと知りたいから、だからもっと関係を深めたい。
そう思って誰かを好きになれたら、どれほど幸せかと痛感する。
でも私にとってそんな人はあなたではないと知っているから、だから少し悲しいのです。
どうしてあなたの言葉遣いはこれほど好ましいのだろう。
たまにあなたのことをあざとい!と、一人震えている私がいます。
約束事を一つした時に、ちょっと苦笑いしながら「いつものね、笑」と少し楽しそうに、少し困ったようにぼやくあなたのことが、私はたまらなく愛おしいのです。
あなたにとって、例え些細なことであっても、私とあなたの間で「いつもの」と伝えられることが一つでもあることが。
愚かな私にはとても幸せなのです。
恋人ならそのいつものが、もしかしたら永遠になるかもしれない。
夫婦ならそのいつものが、おそらく安定したものであるだろう。
でも単なる先輩と後輩の間には、曖昧で何の意味もないものかもしれない。
でも、あなたが、いつものだよ、そう言葉を添えてくれることに、私の胸いっぱいの幸福は確かにあるのです。
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