仕事を辞めてからの回復の経緯を振り返ると、なかなか興味深いものがある。
辞めたらすぐ新しい仕事を、と思ってたのに、辞めた途端に全身の疲労が噴き出して起き上がれず。
これまで誤魔化してきた痛みや不快感が、主張を強めだす。
不治の病じゃないか、死ぬんじゃないかと思うほどあちこち痛いし気持ち悪いし辛くてならない。
体が重くてダルくて痛くて動かないのに、気持ちは前へ行こうと足掻く。
何かを始めなければと、焦りと不安でストレス満載、
体調にも影響が出て、心と体が足の引っ張り合いを始める。
いよいよメンタル崩壊、死にたい、生きていたくない、生き続けるのが怖い。
死ぬ方法に思いを巡らす。
苦しくないほうがいいな、なんて考えているうちはまだ理性が生きてるからムリだな、と冷静に思う自分がいる。
とりあえず生きなくてはならないから、少しずつ外へ出る。
とは言っても、用事のために仕方なく、だけど。
ハロワとか。
市役所とか。
何ヶ月か経って、おや?案外、大丈夫そう。体も少しずつラクになってきてるかな?と気づく。
それでも帰宅するとドッと疲れて、やはり気分は落ち込みに戻る。
外出すると数日は寝込む。
調子の良い日が続いたかと思うと、体調の悪さが理由もなくぶり返す。
日々、その繰り返し。
そのうち体が落ち着いてくると、今度はメンタルの出力が激しく低下していることに気づく。
気力がとにかく出ない。落ち込むというのでもなく、何も考えたくない。
落ち込むことは激しくエネルギーを使う。それすらもしんどい。
集中力、記憶力が著しく低下してる。
何も覚えていられない。
もはや焦りも不安も感じない。
この頃になると、
ストレスにしかならない不穏な感情が少しでも湧きそうになると、シャットアウトすることが自動的に起こる。
が、少し怖い。
ものを覚えられない、考えられないでは、社会復帰できなくなる。
まるで手足をもがれた人形のよう。
思考がなく心もない。
何事にも心が揺り動かされない。
感動がなく悲しみもない。
生ける屍のごとく、ただ家の中をウロウロするだけ。
気づくとボーッとしたまま何時間も過ぎている。
そんな日がどれだけ続いたことか。
それも記憶にない。
そして今。
何も言いたくない。
これまで私は自分でもおしゃべりな方だったと思う。
はしゃいで笑って。にぎやかに、
明るく。冗談を飛ばして。
世話焼きで、親切で。優しくて。
いつも元気だね、とよく言われた。
無理してしゃべって笑って、でもきっとたくさんの誤解を受けてきた。
近づきたい、理解してほしい、理解し合いたい。
そんな気持ちの表れだったと思う。
自分がしてほしいように人にもしてあげること。
そんなことを習ったのは幼稚園の時だったか。
いつしか刷り込まれた、その在り方は、私の行動規範にもなっていた。
何かが間違っていたのだと思う。
だから知らずにムリを重ねたのだと思う。
自分がしてほしいように人にもしてきて、けれど私は誰とも思ったようには近づけなかった。
価値観の違う人とも仲良くしようと無理した。私を裏で悪く言う人とも表面だけでもうまくやろうとした。
思いやりを示せば相手も心が和らぐはず。
相手のことを理解しようとしすぎた。
受け入れる気すらなく、自分の都合で私を内側に入れたり出したり弾き出したりするような人たちのために。
私から得られるものは何でもガツガツ受け取るくせに、決して返そうとはしない人たちのために。
私が心を砕いたようには、そのかけらも心を向けてはくれなかった。
そんな経験を山程してきたことに気づいた。
わかってる。
誰もが自分のことで精一杯なんだ。
余裕がないんだ。
心を閉ざしてるんだ。
人のことなんて思いやるだけの余裕なんて誰もないんだ。
私は頑張ってきた。
心を開きすぎた。
無防備になりすぎたんだ。
それは優しさじゃなく、弱さからだった。こちらが開けば相手も開いて受け入れてくれるはず。
そんなの幻想だった。
相手を想って手を差し伸べても、相手はそのことを簡単に忘れて、ちょっとした私の至らなさをあげつらい、悪口を言う。
人間てそういうものだ。
どこまでも自己防衛に励んで人を傷つける。
私が人のために費やした時間もお金も全ては無駄だった。
全て自分のために使えば良かった。
言葉を尽くして慰めたり励ましたりしなければ良かった。その思いは全て私自身に向けるべきだった。
たぶん、この世界に疲れてしまったんだと思う。
今の私は凪いだ湖のよう。
波立たず静かにたゆたっている。
感動もない。
感情が動かない。
涙が出ない。
これでいい。
これでやっとニュートラルってことだ。
これがデフォルトってことだ。
何も言いたくない。
人に対して自分に対して。
慰めも励ましも。
否定も肯定も。
あらゆる理屈は無視していい。
感想など持つまい。
意見など口にするまい。
なんの役にも立たないのだから。
ただ黙っていよう。
今後、関わるあらゆる関係、グループ、組織、社会において。
黙っていよう。
何を考えているのか分からない人間になろう。
困っている人がいても、すぐに手を出さずにしばらく見守っていよう(私が手を出そうが出すまいが大して意味なかったってことが殆どなのだから)。
物理的に助けられたとしても、相手は簡単にその事を忘れる。
次の瞬間には私を非難しだすのだから。
もっと助けて欲しかった、と。
もっとこんな風に(気に入るような形で都合よく)助けてほしかったのに、と。
人を手助けしても後で、自分ひとり落ち込む結果になる方が多かったのだから。
助けたはずの相手はその時は喜んでくれても、後になれば、私以外の誰かのおかげ(ご先祖だとか)だと顔を輝かせてわざわざ私に報告してくるのだから。
私の思いは伝わらず、相手は恩恵だけを受け取って、私の存在を軽んじていくのだから。
そのたびに自分の無能さと未熟さを思い知り、ひどく落ち込みうつ状態にまで陥るのはもうやめよう。
私は誰のことも助けない。
私は誰のことも思いやらない。
私は誰のことも愛さない。
周りとの境界線になる、見えない透明な風船の中に入ったまま生きていこう。
やっとここまでたどり着いたから、
そろそろ社会復帰できるかな。
後もう少し。
随分と時間がかかった。
薬やカウンセリングや、他のことに頼らず自分の中の治癒力だけで回復するのにかなりの時間がかかった。
お金がなくなった。
若さもどんどん消えていく。
気力も体力も激しく落ちた。
空っぽな私が転がってる。
でも、これで良いと思う。
無駄な落ち込みも無駄な自責も過剰な元気も優しさも何もなく、転がってる。
嫌な人間でもなく良い人でもなく、役に立つ人でもなく。
(役に立たない人間には誰も目を向けないから存在しないも同じ。それならそのほうがラクでいい)
これがいちばんラクなのだから。
楽に生きよう。
私は誰かのために生きてるわけじゃない。
私は私として生きてるんだ。
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