なんでかわかんないけどすごい傷ついてる気がする。全身傷とあざだらけ。
こわい。苦しい。痛い。
これ以上傷つきたくない。
誰のことも信用できない。
一番信用できそうなというかできなきゃいけないであろう大学のカウンセラーもなんだか最近威圧的でこっちの気持ちを無視してるように感じられてしまってつらい。そのことを話すのも怖い。もう変えたい。逃げたい。
生き方が下手くそすぎてただ生きてるだけですぐに死にたくなる。
ちょっとしたことで絶望して、その絶望が誰にも分かってもらえないことにまた絶望して
そうして出来上がった絶望の結晶をどうにかして人に目をそらすこともできないほどに見せつけてやりたい、とだけ願っている。
もしかしたら、だから私は死にたいのかもしれない。死んで私の死体に絶望の結晶が析出して周りの人間にそれがようやく可視化されることを、夢見ているのかもしれない。
ついに私が心から尊敬した人、好いた人、信頼した人、私のことをわかった人はみんな私のことを見捨ててしまったに違いない
という妄想に今は取り憑かれている、そんな気がする。
本当の気持ちを吐き出すところが全部なくなったような、もうこの世界のどこにも私に応答してくれる人間がいなくなったみたいな、そんな気持ちがする。苦しい。気持ち悪い。
こんなの全部ほんとじゃない
ゆめだ、ゆめだ
すべて忘れてしまいたい
ゆめからさめたい
きもちわるい
そう頭の中で繰り返す言葉にどれほどの意味があるのかはわからない、が、私はそれをおまじないのように、祈りのように、唱え続けるしかない。
目が覚めたら現実が現実でないところになってたらいいのにと思う。それは別に夢の国なんかじゃなくてもよくて、ただ、私の心の中が反映されたような世界でひとり眠りにつきたい。
誰も存在を信じてくれないそれでも私にとってはどうしようもなく確かなものを可視化した世界で、安心したい。たとえ誰もいなくても。誰も、いないから。
すこし話は逸れるけど
私のことをどうやら好きらしい男の子が最近よくご飯やデートに誘ってくる。そのことが私はうれしいのか苦しいのかよくわからない。
普通の大学生に見えるのにどこか落ち着いていて、現実思考で、自分の出自に諦観めいた責任がありながらどこか誇りがあって、人のことは変えられないと言いながらも寛容さがあって、それでもなんだかんだ年相応で、無邪気な人。家族のことは好きだし感謝している。なりたい自分を設定して、そのために逆算して行動ができる。
私とは真逆のような人間だ。一致しているのはおそらく根底の諦観(種類は違う)くらいじゃないだろうか。
大人に見えて幼稚、現実逃避の癖、自分の出自を受け止めきれていない、どう考えても年相応ではない内面のちぐはぐさ、無邪気への恐れ。家族に対して複雑な思いしかない、なりたい自分なんかない。自分が、わからない。
そんなに安定した人間がなぜこんな自分を好きになるのかということがまず私には疑問でならなかった。
顔がいいからか? と思ってたけど今日自分の顔の欠点を見つけてしまいそれは無いと思った。チョロそうだから? でも、彼の人格からするにそんな選び方をするようにはとても思えない。
きっとどこか都合がいいからだろう
なんて、相手を貶すような妄想をしてしまう私は、やっぱりどこかおかしい。
「自分でも驚いてるんだけど、一緒にいると落ち着くっていうか。本当に君と会えてよかったなって思ってる」
私はこの言葉を一体全体どこからどこまで信じればいいのかわからない。そう言われるのがうれしいのかもよくわからない。
でもなんか返さなくちゃいけないと思って「……私も!」とだけ返した。後から薄っぺらい返事をしてしまったなと思った。そのために嫌われてしまうことを恐れた。でも、やっぱり本心なんかこれっぽっちもわからなかった。
今日もまた死にたくなったけれど
首を吊って死ぬ想像をして君の顔を思い浮かべるとなぜかすこしだけ心が軽くなる気がした。
私が死んだら君はどんな顔をするだろうか? 一緒にこの人生に絶望してくれる? 私のことで傷ついてくれる?
なんて、病んだ三文小説みたいなことをつい考えてしまう。倫理的には最低で、でも最高にエクスタシーを感じる想像。
しかし、こんな精神状態のときにそんなくだらない想像をして現実逃避ができる人間がいて良かったと思う。でなければ、この世界の信用ならなさへの混乱は今よりも酷くなっていた気がするから。
傷をただの現象にしたい。
つまり死にたい。
痛みなんて、クオリアなんて
完全に消えてしまえばいいのに。
と思った。
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