『優しい人は心を病む』が真であるなら、その対偶も当然真となるはず。
だが、道行くお気楽そうな人達をとっ捕まえて
『悩み一つなさそうにしやがって! お前らは優しくない!』
なんて叱り飛ばすのは正しい行いと言えるのだろうか?
あるいは、『優しい人は心を病む』という命題は真ではないと考えるべきなのだろうか?
それはそれで、傷ついている人に塩を塗りこむようでものすごく抵抗がある。
何が間違っているのか、どなたか分かりますか?
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優しい人かつ余裕のない弱者が心を病むだと私は思っています。
優しい人は誰かを助けようと思ったら自分より相手を優先してしまう。
余裕がなくても自分の身を削ってでも助けようとする。
そして疲弊する。
余裕がある強者なら自分の身を削らなくてすむ。
お気楽そうな人は優しくないのかもしれないし余裕があるだけかもしれない。
ななしさん
「命題」とは、論理の事柄ですよね。
でも、『優しい人は心を病む』というのは、論理的な真偽ではなく、個人の主観ではないでしょうか。
たとえば、「あの人は優しいから、心を病んでしまったんだな」という感情が幾度か繰り返されると、その人の中では『優しい人は心を病む』という認識になるということです。
そのように、そもそも『優しい人は心を病む』が論理ではないので、『心を病まない人は優しくない』は、成り立たないはずです。
『優しい人は心を病む』が真偽の問題ではないにしても、「優しいから心を病んでしまったのかな?」という感情で、他人に思いやりをもつのは大事だと思います。
優しくない人も病みますね。
人には「心」がある限り
優しい人って定義自体もそもそも曖昧ですから
人より我慢している人、他人を思いやり、人一倍頑張ってしまう人などなど
そんな人でも暴れてしまい取り返しのつかない事を起こしてしまう事もあります、人間ですから
優しくない人の定義も曖昧ですよね
人を騙す、嘘をつく、人を利用する、殴る、犯罪を起こすなどなど
でも、その人にも大事なものがあって失えば悲しみ愛しむ事もあるでしょう。
優しくても優しくなくても、悲しみ慈しみます
人には感情がある人が大体だと思いますので。
優しい人が病むというより、人一倍感受性が高く、争い事が嫌いで自分の小さな心の中に封じ込めてしまう人が多く、他人に迷惑をかける事を嫌い、それを発散の仕方が間に合っていない人が病んでいく人が多い感じですかね。
私自身、重度の鬱病になって今も働けない状態ですが自分が優しい人間なんて思った事はない、自己犠牲が強いのはなんとなくありますが、自己の評価は低いですし、若い頃にはイジメにもあいましたね。
病み方も人それぞれですし、優しい人が病みやすいのはわかりやすくした1つの指標なだけですのであまり拘らないほうがいいですね。
ななしさん
『優しい人は心を病む』の対偶は、『心を病まない人は優しくない』ではない。
そもそも、『優しい人が心を病む場合がある』。
もっと言えば、『優しい、優しくないに関係なく人は心を病む場合がある』だと思う。
ななしさん
実際はどっちも病んでると思いますね。優しいから偉いというのも傲慢な考えかもです。だからマウントを取り過ぎると嫌な人と一緒かもです。
誰にも自分の良さは語らいない方が良いのかも。自分は優しい人間なので、強い人間をかばうような形になりますが、誰だって悩み苦しんでるのは確かなはずだとは思ってます。
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