私は自分が嫌いです。努力ができないんです。かわいくないし太ってるし。自分で行動を起こさないと変わらないことはわかってるんです。でも動けないんです。気力が出ないというかなんていうか。
最近は自分の存在価値について考えるようになりました。自分が死んだらどれくらいの人が悲しむのかなとか、家族の負担が少しでも減るんじゃないのかとか。でも自分から死を選ぶほどの勇気は持っていません。全部が嫌になることはしょっちゅうあります。生きたくないと思うことはあるけど死にたいとは思いません。
生きたくても生きられない人がいるんだからとよく聞きますが、私としてはその人たちに私の魂をあげて私の代わりに生きてくれた方が十分価値があるんじゃないかといつも思います。代われるものなら代わってやりたいって思います。
話の流れとかぐちゃぐちゃですけど、こういうことを私はいつも考えています。でも誰にも話しません。話したところで相手に余計な負担を背負わせてしまったり反応に困るだろうと思うからです。
意見を言わずにただ黙って聞いてもらえるだけでいいんですけど、今のところそのような人は誰もいません。それもつらいです。
別に鬱とかではないと思います。楽しいことをしてるときはこんな気持ちはびっくりするくらい忘れてしまいます。でもふとしたときにまた戻ってきます。
似たような境遇にある人はどんな対処をしていますか?
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ななしさん
私も同じようなこと考えてるなぁ…と思いながら読ませていただきました。
私はたぶん小瓶主さんよりけっこう年上で、精神面と肉体面に病気を持っていて、外に出ての仕事はせず「家事手伝い」をしています。
はたから見ればそこそこ健康そうで、外で働こうと思えば働けなくは…ない。
そう、行動を起こせば状況を変えられるはずなのですが、なかなか動く気力が出ないというか、ね。
そんな自分の存在価値についても、よく考えてしまいます。
家族に経済的負担をかけているのは間違いないですが、そこそこ家事もやってるのでそこは勘弁してもらって…みたいな。
小瓶主さんが死んだらきっと家族や友達は悲しむと思いますよ。
負担が減って楽になった~なんて思わないはず。
もしも家族が突然亡くなって、高額な遺産や保険金を受け取れたとしても、小瓶主さんは全然嬉しくないでしょう?
それと一緒です。
私も、たとえば難病の人や戦争で犠牲になる人などの身代わりになれればな…なんて思うことがあるんですが、こればっかりはどうにもならない…。
こういう考えを聞いてくれる人って、なかなか身近にいないんですよね。
私は一応病院に通っているので、担当の先生にちょっと聞いてもらったりできるんですけど。
小瓶主さんがまだ学生なら、保健室の先生とかにお話を聞いてもらってもいいかもしれません。
何か楽しめることがあるのはいいですよね!
私は読書が好きなのですが、本に没頭してると辛い気持ちを忘れられますよ。
精神科医が書いたエッセイなど、読むとけっこう心が軽くなったりします。
あとは、少しでも興味関心があることを深掘りしてみるとか、楽しそうって感じたことを実際にやってみるとか。
楽しんで何かをやっているつもりが、実は努力と同等以上に自分の糧になっていた、みたいなことって案外多いですからね。
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