お返事を読んでいると、
「自分のために生きてみて」という小瓶がある。
でもさ、考えてみると、私は自分のために生きてるんじゃないかって。
今ここに生きているのも、私が生きたいから勝手に生きてるだけだ。
私が生きるのを望む人がいるから…なんて理由じゃない。そんな人いない。
気遣いも、「自分の価値を見失いたくない」っていう気持ちからだ。
別に、相手のことなんて考えてないと思う。
最初から他人の事なんて考えていなかった。
ただ自分を保つために利用しているというのに過ぎなかったのかもしれない。
要するに、
私は相手のことを考えず、自分のためだけに生きてるってことだ。
…って、それはそれでダメなんじゃないか?
相手のことを考えられてないなら、どれだけ気遣っても、私は優しくないままなんじゃないか?
こういうのを偽善というのかもしれない。
本当にこれでいいのだろうか…。
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ななしさん
ううん。私だって自分の価値を下げないために人に優しくしてるよ。それに、本心から人のことを考えて優しくしている人は、いきすぎると「自分で自分を大切にできない人」になっちゃうんだよ。だからちゃんと自分のために生きれているのは、えらいと思う。「自分を守れる人」になるのは今すごく求められていることだから、それでいいんだよ。
もし誰かに優しくして、ありがとうって言われたりして、この人に優しくしたいな、って自然にふと思うこととかがあったら、そのときに優しくしてあげればそれで充分だよ。
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