【ドゥーマー】って新しい言葉仕入れたんだけどさ。
世界に絶望にしてて世界の終焉願ってるみたいなやつ。
アメリカの若者の間でひろがってる思想的な?
こういう思想って放っておいて若者の間で絶望が広がって子供の頃から世界はクソだって洗脳されてもどこかで反発心のある若者が「いいや世界は素晴らしい」って言い出したり考えられる若者が「本当に世界は絶望に満ち溢れているの?希望は?」って、絶望の世界で希望を見出そうとする人たちが現れて結局なんかいい感じになったりしないのかなあ……
一気に喋っちゃったけど、聞いてほしいわけじゃないし、てきとーに読み飛ばしてくださいね〜
なんかね、いろいろ考えちゃって。
ぼくが子供の頃からインターネットってあってさ。
新聞とかラジオとかテレビ以外にも情報を入れられるものが増えたわけだけど、情報を入れられるだけじゃなくて個人で発信もできるようになってるわけで。
それで、良いこともまあ、あるけど。悪いことも、まあ、たくさんあって。
小さい頃から「死ね」とか「死にたい」とかインターネットで見聞きしてたらどんな子に育つんだろうなあ……なんて思うよね。
死にたい理由に、インターネット上に(自分が言われたわけじゃないけど)酷いこと言う人がいっぱいいるから。インターネット上に死にたい子がいっぱいいるから。
そういうの考えたら怖いなあ……って。
楽しいよ。なかったらつまんない。たくさん笑ってたくさん感動して……ネットと共に生きてきたの。
だけどまあ必要ではないよね。まず、生きる必要がないもの。他の人は知らないけど、わたしは。自分の命に興味ないし。
これはでも生まれた時からあって、無くなったことがないからだろうな。
必要なもの、全部与えられて……
「ここで生きてください」って。
最初は楽しいけど、いつか飽きて。
「でも、生きていけるしまあいっか」
死ぬまでそのまま。
冒険に無理矢理連れ出してくれる大人がいればよかったのに。こんなに世界は広いんだぞ!楽しいんだぞ!って。
なんにもない世界でもなあ、工夫しだいで面白くできるんだ!って。
自分で見つけに行く足は、育たず腐りました。
あきらめます。
死ぬことに幸せを。
どう生きようと勝手だけど、僕は、
世界には楽しいことも苦しいこともいっぱいあって、死んでる場合じゃなくって、生きて生きてこの世界を堪能しつくしてほしいと思うよ。
無理だね。どうせほとんどの人が絶望してるんだ。あるいは希望を独り占め。
……だめだ。結局ネガキャンみたいな感じになる。
「この世は終わってます、死にましょう」なんていうものに同意を得られるのだとしたらそこからどう転じる?
それこそが終焉ではなく、物語の始まりであれ。
そこから一生懸命に生きる人々が描かれろ。誰一人死ぬな。
そう願っちゃう……
まだ信じたい。助かりたい。
じゃなきゃこんなとこにいない。
もう死んでる。
ま、ここにいてもいなくても何も変わらんかもしれんが。
もう死んでるようなもん。
どうでもいいですよねー。
なるようにしかならないですもーん。
お わ り