たとえば、僕が
親から虐待をされ、学校ではいじめられ、社会ではハラスメントを受け……そんな人生を送ってたとする。
そんな僕の言葉を見て、私は、羨ましいと思うのだ。
親がいるんだ、いいな。とか
学校行けてたんだ、いいな。とか
社会に出られているんだ、いいな。とか
実際伴う苦痛な部分、都合の悪いところは考えずに、良い部分だけを抜き取って漠然と羨望を抱く。
本当にそうなりたいかと言われればそうでもない。
ただ浮かぶだけ。
「でも、○○できてるんだ。いいな」って。どんなにその人が不幸を嘆いていたって、わたしと違う人生を歩む誰かに、光を見てしまう。光じゃなくて闇でもいいし、なんでもいい。とにかく、わたしと違うものを持っていることに興味を惹かれる。わたしがわたしである以上絶対に手に入れられないもの。
これはきっと、他人が自分に対しても思ったりするのだろう。特にわたしの場合、とても恵まれた人生だ。周りから「いいな」って思われるのかも。なんて、烏滸がましい?自惚れすぎ?
よくわかんないや。
人の思考や感情は知り得ない。理解できない。
これを書いたボク自身ですら、本当にぼくが思っていることなのかわからないよ。
それは重要かい?
どうでもいいな。
羨ましいと思うことは、自分がやりたいことなのかな?
それを書いて「じゃあやればいい」って言われるのは嫌いだ。『しない』ってことは『本当にしたいこと』ではない。なんて考えもだるい。
夢のままでいいもの、っていうのがあるのかもしれない。
叶わないことによる不幸と幸せ。
自分の中で、「死にたい」「じゃあ死ねば?」「やだ」っていうやり取りを永遠と続けても、まあ面白いかな。なんて思う。
他人とだったらどうだろう?「○○が好き」「それならこれはどう?」「やだ」みたいなのばかりを繰り返す。ここではそんな感じだ。
そんなのを繰り返し続けても、ひとりぼっちになる気がしないのは、この世にはたくさんの人が生きているからかなあ。
わたしのことを知れば知るほど離れていく人。近付いてくる人。この世は変わった人ばかり。
ひとり、またひとり、わたしのことを知り離れていってもまだ、わたしのことを知らないがゆえ接してくる者多数。そんな世界。
ぼくの頭の中の話。
おわり
おつかれさまでした