なんてこと、買い物してて思うんですよね。
むしろ最近一緒に行けてないから。
あれもいいな。
これもいいな。
さっきあれを買ったからこっちはだめ。とか、
晩ごはんにこれも加える?とか、
そんな相談をしながら買い物するの、思い出しちゃう。
「あっちのの方が安いんだけどさ。
こっちのの方が」
「おいしそう。」
で、声が揃って、だよね!って言ってそれを買ったり。
味の無くならないおしゃぶりこんぶのように、思い出をかみかみかみかみ。
かみかみしながらスーパーで買い物。
さみしいようで、幸せなわたしの日常の思い出。
過ぎたらなにがおしゃぶりこんぶになるやらわからないから、いま持っている幸せをだいじに過ごそう。
だっこさせてって言ってもいやなんだろうな。
赤ちゃんの時はあんなに四六時中だっこされたがってたのに。
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ゆきさんへ
お返事ありがとう。
しあわせって、けっこう過ぎてから思うものな気がします。
最中では当たり前で、忙しかったり大変だったり思っているものが、過ぎてみるともう得難く尊いものであったと気づいたりする。
こどもたちは最近忙しくなってしまって、スーパーの買い物なぞには付き合ってくれません。
よっぽど自分の欲しいものが自分が行かないと手に入らない。そんな時と場所でないと。
それも喜ぶべきかもしれません。後になるとそれさえも得難いものになる気がするし。
うちの祖母は毎日仏壇に、離れて暮らす末っ子のおじさんのことをお祈りしていました。結婚して大きい子供もいるおじさんなのに、いくつになっても、こどもはこどもでかわいいんだなあ。と思っていました。
もう赤ちゃん抱っこはできないし、させてもらえないし、男の子の場合はやがて恋人や奥さんのものになると思っていた方が子供のためと思うので線引きをした関わりになっていくとは思うけど、
心の中ではそんな風に、いくつになってもかわいかったりしないのかなあ。と祖母を思い出して思います。
お子さんとの買い物、良いですね。
私は未婚ですが、
すごく楽しい、幸せなんだろうなと想像します。
自分も子供の頃は親に可愛いと思われてたんだろうな、それが大人になったらこんな可愛げのない人間になって……。
なんて話をすると水を差してしまいますね。
最近行けてないなら、なおさら行って欲しいと思ってしまいます。
今の幸せが未来も同じように残っているとは限らない。
だから今の幸せがあるうちは大事にして欲しいと、私の勝手ながら思ってしまいます。
久々に子供と買い物行けて楽しかった。
という小瓶が流れてきたら良いなと願ってます。
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