もしも隣にいる人間が何かしらのピンチに陥って
その場に自分がいるならば、あなたはどこまでのことをしてあげれる?
どこまで負担できる?
誰ならあなたは手を差し伸べる?
命を賭けて他人を救おうと思えるか
今あなたには1000万の貯金がある
これが全財産だ。
誰かに「お金が必要になった。1000万貸して欲しい」
と言われる。
友人に言われた時あなたは手を差し伸べれるか。
お金が必要な理由を聞いても尚、あなたはお金を貸してあげれるか。
それが親友ならば、知り合いならば、恋人ならば、
家族の医療費、借金の立て替え、要件は言えない、
いろんな条件が当てはまる。
人を信じることは、実際そこまで難しいことではない。
それと同じように、
人を裏切ることもまた、難しいことではない。
ただ信じれば良い
ただ疑えば良い
それだけの話だ。
だが
「疑い」という言葉が一瞬でも過った途端
信じることのハードルが一気に上がる。
一度一人の人間に裏切られた人は、その人のことが信じれなくなる。
二度違う人間に裏切られた途端、他の人のことさえも信じれなくなる。
逆もまた然りで
本気で信じているものを疑うのもまた困難なのである
疑いたくないという葛藤のすえ疑うことをやめる。
そこに信じたいと思う限りは信じてしまう。
簡単なようで
難しい
心という不安定がこの駆け引きを生み出す。
美しくも醜く
酷くも興味深い
これもまた
人間の性。
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ななしさん
ともだちいない。思うことはよくある。
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