身近な人の死が怖い。
もう80を超えた祖父が、会う度に小さくなっている気がする。
元気に喋れていたのはいつまでだったろうか。
数年前に亡くした母方の祖母がだんだん弱っていく様子も、死の瞬間も、残った体温も、ある種のトラウマとなってはっきりと記憶に残っている。
あの時の感情をまた経験するのが怖い。
考えるだけでも涙が出てしまうのに、いざその時が来たらどうなってしまうんだろうか。
今のうちにできるだけ会って話しておきたいけど、その度に悲しさがちらつく。
まだ元気でいる祖母、父、母、兄、親戚、友人など、自分が死ぬまでに目の届く範囲で何人死んでしまうんだろう。
楽しいことや嬉しいことはたくさんあるのに、いつ訪れるか分からない恐怖に強く怯えている。
いつかは上手く受け止められるようになるんだろうか
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
ななしさん
身近な人がなくなるのはつらい。だからこそ、生きている今、たくさんの楽しい思い出をつくる。そんなふうに私は思っています。
私は生まれた時にすでに祖父母はいませんでした。私は末っ子で、姉や兄にとっては当時にしても少し年齢高めの親、私にとっては完全に高齢親で、幼稚園時代には友だちに母をおばあちゃん?と呼ばれてしまったくらい。20代学生にして、両親ともになくしました。姉や兄の配慮、コロナ禍により、亡くなる瞬間には立ち会っていませんが、初めての身近な人の死は両親でした。
親が亡くなってから、姉や兄に子どもが生まれました。誰かがなくなれば、誰か生まれてくる、そんな風に続いていくのだなと。
確かにそもそも身近な人が少なければ、悲しむ機会が少なくて、多い人よりそれもまたある種の幸せかもしれないとも思う。でも祖父母がいる暮らしを知らない。どっちがいいとか選べるものではないので、それは運命として受け入れるしかない。
正直なところ、死が悲しみばっかりかというと、そうでもなく、故人が一生懸命生きてきたことを知っているから、死によって、この世の大変さから卒業できたねと、ホッとする感覚もありました。末期ガンで闘病してたので、痛さや苦しさから開放されたんじゃないかと思って。もちろんもう2度と話せないし、この世にいないのは悲しいけど。
何度経験しても悲しみは小さくならないと思う。だから、今を大切に、同じ時を過ごせることを大事にして。一緒に過ごして会話して相手を知れば知るほど、お疲れさまって言えると思う。悲しみは消えないけど、あと何十年かしたら自分もこの世を去るから、それまでのお別れだって思って。
色々書いたけど、死が怖いのは、それだけ若い証拠なんだと思う。
人は自分で何歳まで生きれるか分かりようもないけど、70歳、80歳くらいになれば、体もあちこちガタがきて、もうあっちへ行きたいよって思ってるかもしれない。行く側に近づけば、違った受けとめ方になりそうに思いませんか?
ななしさん
死は、亡くなる本人よりも残される人の方が辛いもの、なのかもしれませんね。
グリーフケアというものをご存知ですか?
身近な人を亡くした「残された側」の心のケアです。あまりにもトラウマがひどいようならカウンセリングを受けたほうがいいと思いますが、グリーフケアや死の受容についてご自身で調べて知識をつけるのも、「上手く受け止められるようになる」一つにはなるかと思います。
あなたの言う「うまく受け止める」がどのようなものかはわかりませんが、亡くなった人との思い出を懐かしむことができる日は来ます。そこに至るまで、「もっとこうしてあげたかった」など相手に対しての後悔が押し寄せてきたり、喪失感で抜け殻のようになってしまう時もありますが、それを超えた先に、相手との思い出や記憶の数々が今を生きる自分の糧に繋がるのではないでしょうか。
人として生きている以上、自分の死も周りの死も避けられるものではない。だからこそ、今同じ時を過ごせることがとても尊いのだと思います。大切な存在だから別れが辛い。辛い側面ばかりでなく、限りある今をどうか大切にしてくださいね。
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