とある御伽噺(おとぎばなし)を紹介しようと思う。
とても長い話になってしまうかもしれないが、すべてキッチリと読むなんてことはしなくてもいい。
これは、御伽噺なのだから。
ここに、一人の青年が居る。
彼は何の趣味も、何の特技も持っていない、残念な人間だ。
そう、青年はそう思い込んでいた。
会社の上司から任された仕事を無気力にこなし、家に帰れば両親からの小言を毎日言わされる。
同じ目にあった人であれば、その虚しさがどれほどわかるものだろうか。
そんな状況に彼は、自分の人生を『何の意味もない』と感じていた。
こんな人生を送ることに、一体何の意味があるのだろうか、と。
それでも、彼には彼でも気付いていない『ソレ』が秘められていた。
それは、真にやりたいと思った時に出る、ありったけの『情熱』だった。
しかし、その『情熱』は燻り続けていた。開放するだけの『何か』が無かったからだ。
そんなある日、彼は毎日のローテーションをこなすように、動画サイトを開いた。
おもしろい動画を探すためか、それとも只の無意識なのか、それは誰にもわからない。
ふと、何かの動画がオススメ一覧にピックアップされていた。
彼はそんなものを見ることは一切しない。彼の経験上、大体そんなものはつまらないからだ。
なのに、彼はその動画をクリックした。只の暇つぶし程度か、怖いもの見たさか……。
流れてきたのは、今まで彼が聞いたことのない『音楽』。
どこか怪しさがあって、それでいて惹き込まれる、音のパレード。
なるほど、いい曲だ。だけど、結局はそれまでの話だ。
今までと変わらない、ありふれた『良曲』の1つを聞いた、それだけのはずだった。
なのに、その曲はどこか、彼の心を惹き付けて離さない。
なぜだろう、今の彼にとって、一体何がそうさせているのだろう。
それは、その曲がというよりも、その曲を流している時の動画にあった。
女の子のキャラクター。
そう、それだった。
ネタバラシをしよう。彼が見たのは、音楽ゲームのプレイ動画だったのだ。
それも、その曲は当時の『最高難易度』に属しているという、いわば『スーパープレイ』の類だ。
その動画を彼は『何となく』見た。
それが、彼の人生を一変させようなど、一体どこの誰が予想できようか。
彼は突き動かされるように、ゲームセンターへ走っていった。
あのゲームを探すこと、それだけだった。
お目当てのゲームはすぐに見つかった。
なけなしの100円玉を握りしめ、そのゲームをやり始めた。
そのゲームは、一体どれだけ楽しかったことか、想像できるだろうか。
何もないと思っていた彼に、何か一筋の光が差し込んだ気がした。
その日以来、彼はそのゲームにすべてを注ぎ込むことを決めた。
彼の中で、あふれるばかりの『情熱』は燃えたぎり始めた瞬間でもあった。
働いて稼いだお金は、ほとんどゲームにつぎ込んだ。
SNSで同じゲーマーと繋がりを持ち始めた。
時には実際にあって、その腕前を見せてもらった。
何時間であっても、只々その一瞬を逃したくないと、彼は前のめりになっていった。
その結果、一体どうなったか。
彼はいつの間にか、その世界の頂に到達していた。
その瞬間、彼は歓喜の雄叫びを発した。大地を揺るがさんと言わんばかりの咆哮を、人目も憚らず。
彼の情熱は、誰もが羨む領域に到達してしまった。
何の力も持っていないと感じていた人間が、それを極めてみせたのだ。
如何だったろうか。とても良く作られた御伽噺であり、かく云う私も楽しませてもらった。
こんな御伽噺を作れる創作性豊かな人間が、まだこの世に居たとは。
そんなあなたは、ふとこんなことを思ったかもしれない。
これが御伽噺じゃなくて、リアルな話だったら、と。
ネタバラシをしよう。これは、私の実体験なのだ。
御伽噺と言いながら、私の実体験を持ち出し、自慢げに語ってしまったことに対して、大変申し訳ない。
だが、それは今でも私を突き動かす力であり、今でも私の指標になっている。
私は一体、何をしたくて何をしているのか。
『自由』とは、誰にも縛られず、悠々自適に振る舞えるものだと思っていた。
しかし『自由』とは、自分に由ると書いて、自分に理由があるものだと知った。
あの時の私には、確かな『自由』が芽生えた。そして私は、その『自由』を胸に突き進んだ。
そういうことなのだ。
今、あなたに問いたい。あなたにとっての『自由』とは何か?
『自分が由とする理由』は何だろうか?それに自分を掛けてみたいだろうか?
そうであるならば、あなたの『自由』は始まっている。
その『自由』を、どうか最期まで駆け抜けて行って欲しい。