僕は、[努力]をすることが好きです。
しかしその反面で、成功者の多くが言う[努力]がとても嫌いです。
僻みという訳ではありません。
成功者の多くが言う努力は成功したからその努力の大切さを語ります。
努力をして成功できる人間なんて広い目で見れば本当に山もりの砂糖の一粒程度なんです。
なのに彼らは「努力をすれば夢は叶う」「努力は裏切らない」「努力が足りない」と簡単に言います。
確かに表に立つ人間ですから一般人にそういった事を伝えて勇気を出すきっかけ作りをしているのかもしれません。
でも、僕は無責任だと思ってしまいます。
発言した方の名前は出しませんがこんな言葉があります。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
僕には一切の理解もできません。
どんなに本人が苦しく辛い努力をしようとも、そこに報われる様な環境が無ければ報われないんです。
しかし、こういった方々にこう返すと「環境が無いなら自ら環境を作ればいい」と返ってくるでしょう。
では「環境を作るお金がありません」と返しましょう。
「夢なんだろう?借金してでも環境を作って成功して借金を返すくらいの気持ちでいないと無理だ」と返ってくるんだろうなと勝手に思っています。
勝手に思うと言うより、僕はとある大企業の社長と喋った際にこう返されました。
成功者達の多くは、弱音を吐けばもっと強くあれと言う。
努力がいかに正しい事かの様に語ります。
僕は努力は絶対に正しいとは思いません。
むしろ真逆で、苦しい程の努力をして失敗した結果に待ち受けている自身の無力さを突き付けられる可能性を高い確率で孕んでいるものだと思っています。
だからと言って努力を一切しないというのも僕の考えではないです。
自分にできる範囲の努力を重ねて、それがいつでもいいから役に立てばいい。
そんな風に考えています。
それと同時に、誰かの為に努力するのではなく、自分の為に努力をする。
これも大切だと思います。
人生って自分のものですよね。
だったら自分の為に自分のできる範囲で努力をしよう、そういった考え方です。
その努力が自分の為になれば無駄ではないし、誰かの為になればもっと無駄ではなくなります。
自分語りなのですが、僕は幼い頃からバスケットボールをやっていました。
中学はバスケ部に入り、自慢ではないですが周りからは才能がどうと散々言われました。
しかし、僕はこれは才能ではなくて昔からやっていて部活が終わって帰った後でも練習して、当時の自分なりの努力だったと思います。
練習中に教えてくれと言われ、それに付き合って何十分か後に「おまえと違って才能ないから無理だわ」と言われた時はさすがに腹が立ったのを今でも覚えています。
僕が何年も練習してきた事をほんの何十分間かやって出来ないだけで才能と片付けられてしまう。
この辺りから僕は努力をしないですぐに諦めてしまうのもダメな事なんだと思う様になりました。
前述した様な、過剰な努力の押しつけは嫌いですがまったく努力をしないのも生きていくには難しいなと思います。
僕は無理な努力をしなさいとは言わないです。
しかし、自分には才能がないからと最初から努力してみる事を放棄してしまうのはすごくもったいない事だと思います。
まずは勇気を出して一歩進んでみる。
自分にはダメだと悟った時に身を引けばいいと思っています。
その間にした努力はすべて無駄でしょうか?
僕はそうは思いません。
結果はどうであれ、自分にはダメだと思い自分なり努力して自分と向き合えた。
それだけで大きな収穫だと思います。
結果を気にするのは天寿を全うした時だけでいいと思います。
それまでは過程を意識していけばきっと、いい方向に進んでいくと思うんですよね。
長くなりましたが、これが僕なりの努力論です。
177030通目の宛名のないメール
お返事が届いています
Blaz
(小瓶主)
ごろーさん、お返事ありがとうございます。
その格言はたぶん某漫画ですよね。
僕もその言葉は好きです。
そうですね、たしかにその辺は僕の言葉不足で僕なりの努力論としては曖昧でした。
あくまで僕の考えになりますが、[努力が報われる=設定した目標に到達する]です。
これって目標が大きければ大きい程とても大変な事だと思うんです。
勝手な考えですが、多くの成功者の[努力が報われる]の基準もこれに近いものだと思います。
そうですね、ザックリと環境という書き方をしてしまいましたがタイミング、世代、生まれ持ったもの、他にもありますが色々な事が関係してくると思います。
そうですね、ごろーさんのお返事を見て[自分は地獄の様な努力したから成功したんだ]というある意味では他者と一線を引く自慢と受け取れなくもないなと思いました。
確かに成功者になる為に努力は必要ですが、それを前面に押し出して発言されるのが僕は無責任で好きではないという感じです。
Blaz
(小瓶主)
【りな】さん、お返事ありがとうございます。
僕も目標に向かって努力しているのに結果が着いてこない人に対してこういった考えが出てくるのが本当に理解できないんですよね。
努力の尺度は人それぞれでそれを自分の価値観ですべて否定してくるタイプはすごく嫌いです。
やる前からできないと決めてしまうのは本当にもったいないと思います。
例えば富士山の登山って毎年、頭頂の最高齢者が表彰されるんですけど100歳近くになっても若い人でも途中で断念してしまう事をやってみようと日頃からトレーニングをする。
歳を気にせず人生を謳歌していてかっこいいと思います。
少しでも興味があるならとりあえずやってみるのってすごく自分の人生に花を添える事だと思うんですよね僕。
出会えてよかった小瓶と言って頂いて嬉しかったです。
お互い人生楽しみましょう!
ごろー
いきなりのお返事。
しかも、頭のおかしいお返事で、
申し訳ありません
書きたいから書くという自分勝手な想いでお返事をかきます。
おそらく失礼で気分を悪くされるかもしれません。
先に謝っておきます。
申し訳ありません
努力関係の格言めいた言葉
色々とありますよね。
まだこっちのほうがまだ好きです
「努力は必ず報われとは限らない、
しかし、成功したもので、努力しなかったものはいない」
ここから小瓶の内容に沿う内容になります。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
以下は私のこの言葉に思うことです
そもそも報われるって何でしょうか??
自分が判断するのでしょうか?
第三者が判断するのでしょうか。。
小瓶主さんは努力を通して、
自分の中で努力論を作るに到った。
そのことを持って、
報われたと胸張って宣言したら、
だれも反論できる立場の人はいないでしょう。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
これを言った人が日本人で3歳から
オリンピックの100mの金メダリストを目指して努力を始めたとします。
24時間365日、金メダリストのための努力をしたとします。
その努力の一環として、練習環境を整えることも努力として行ったとしましょう。
きっと生まれ持ったDNAの差を覆すことはできず、
金メダリストになれないでしょう。
結局、
努力の果てに
何を得たいかという目標設定と
ターニングポイントごとの運の巡りが良い。
それが揃っていた時に
個人がどのような行動を
とったかという要素が、
目標達成できるかの成否を分けると思います。
成功した人間が
自分と他人の成否を分けたものとして、
自分の自慢として使うのに
ちょうどいいともの考えて、
発言していると
私は考えてしまいます。
【りな】
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
↑この言葉私もよくわからないw
というか、嫌い。
成功した人が努力してきたのは事実なんだろうけど、じゃあ結果を出せなかった人は努力を一切してないって言いたいのか?って思う。この言葉は違う。努力はみんなしてる。それで結果が伴わないことの方が多い。他の人の努力を否定するな。自分の価値観だけで物事を捉えるなって思う。だからこの言葉は嫌い。
この言葉に救われた人がいたら申し訳ない。
Blazさん、この小瓶を流してくれてありがとう。
とってもいい小瓶だよ。
出会えて良かった。
やる前からできないって決めつけずに何事も挑戦してみようって思った。「やってみる」を大事にしようと思った。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。