死んで、どうにかなりたい。
っていうのがよくわからない。
なぜ我々は死の先を想像してしまうのか……
生きたいのか。
無はやはり怖いのか。
何も無いという状態を想像できない。想像してしまった時点で、脳が生きている時点で、何かが“有る”。
気持ち悪い
きもちわるい
キモチワルイ
本当は、存在を認めてしまうわたしの名前も、好きではないのだけれど。呼ばれるということは、そこにぼくが存在しているということなのだろうし、“名前”ってものが好きではないのだけれど。
でも、その、個体識別番号を、一応は忘れないようにしないとめんどくさいような気がして覚えておく。
一応。一応は、あるのだから。名付けられたのだから。
……今日も自分は、何を言っているのだろう?
言葉が溢れてたほうが日常で、落ち着くから、てきとーに喋ってるだけ。どうでもいいんだ。あれもこれも。暇潰しみたいなもの。
全部、心の声なんだよ。
本来は、見えるはずのない音色。
『無』でいいはずなのに、『有』でいてしまうばかりに描いてしまう絵空事。と、真実。実り、生命。……。
じゃ、またね
おしまい
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何もない状態。
それは完璧でもあり不変でもあり
この世界では「無」といわれる存在。
私たちは死んでも何かに変わり続け
「無」になることはできない。
それは、私たちが
この世界の一部であり
「無」はこの世界の真空部分だから。
私たちはこの世界という牢獄から
良くも悪くも永遠に出られないのさ。
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