学校は宗教です。教育目標がいわゆる「教え」で校長先生が「教祖」、教師たちは「教え」を一方的に押し付け、あたかもそれが正義であるかのように振る舞い、圧力を生徒にかけて「教え」に逆らえないようにする。
例えばウチの学校であった合唱祭が一例です。「大切なもの」と言う曲を強制的に歌わされ、やらされてる感溢れる感じで渋々歌うのは仕方ないと思います。だけど教師は「やらされてる感出して歌っていたら成長できないよ」と言い出すんです。おかしいじゃん!だってやらせは事実だし、だからと言ってやらせ感出さずに歌ったところで成長なんてできますか、と言う話。
この学校は全てがみんなの成長のため、幸せのためとか言ってイミフなことをみんなにやらせる宗教団体です。
不愉快でしかない。それを盾に善人ぶってる教師が、校長が。学校なんてみんなそんなものです。
「偽りの希望は、悪質な疫病だ。それは聖潔な光に偽装し、最終的に癒しを求める肉体を全て破壊する。」
こんな言葉を聞いたことがありますが、まさにそれですよね。教師たちの重圧が生徒たちの心を歪めていくのですから。
今問題になっている自殺とかも、いじめる側も悪いですが、彼らの心を追い詰めていじめに走らせたのは教師で、いじめに対する有効な手段をとってこなかったがために被害者を自殺に追い込むのも教師です。
ウチらの幸せの妨げになっているのはお前らだと言うことを一回わからせてやりたいような気分ですが、あんな下劣な奴らに関わりたくもありません。
これが学校の真の姿ですから、こんな腐敗した体制を変えていくためになにをするかです。