もう、いいか
恨み辛みで、その日を素通りしながら
妬み嫉みもフィクションに変わり
何をするでもなく、何がしたいでもなく
何ができるでもなく、何になりないでもなく
この感情を持ちながら
普通に笑える
笑えるうちは大丈夫
その言葉すら咀嚼した
沈んだ人間に向けられる
雛形の単語の羅列が
堪らなく鬱陶しいから
気の持ちようで人生が変わるなら
元々そういう人間なんだろう
生きる意志がそこにあるなら
勝手に従っていればいい
別に頑張ったなんて言うつもりはないし
自分が一番不幸だなんて言うつもりもない
幸せが人と比べるモノじゃないなら
その逆も否定される覚えはない
人の幸せをノンフィクションとして
人の不幸をフィクションとして捉えていたのが
人の幸せをフィクションとして
人の不幸をノンフィクションとして捉え始めた
もう誰が何をしようと体が動かない
もう何時の何を思い出そうが心が動かない
咀嚼して、受け入れて、理解した
これで終わり
あの時こうしていれば
あの時こうしていても
ここでこうしてみれば
ここでこうしたところで
過去に綴った駄文で
散々ネガティブは統計だと言った
ポジティブはマウントだとも言った
本当はそんな事はどうでもいい
所詮各々が目に見えている常識だ
同じ人間など居ない
ましてや同列で括る程小さな枠じゃない
だから解ったフリをすることは
そんなに苦ではない
ただ
目の前の小さな利益を優先して
未来の大きな利益を逃す愚かさを説く人間が
目の前の小さな幸せを優先して
未来の大きな絶望を迎える愚かさを見ない
不確実な未来を見る条件は同じ筈なのに
見る角度が一方向に決められている
見ないフリをする側に
解ったフリをしている側が
助けを求める訳がない
居ても居なくてもいいのは同じだ
他人の幸せは心から喜ぶし
他人の不幸は心から悼む
お互いそうだろう
でも何に喜んでるのか何を悼んでるのか
恐らく解ってなければ解かろうともしてない
それでいい
世界がそういう風にできているなら
それが正しい
スタートもゴールもスピードもバラバラ
満たされている側は満たされていない側の存在を望み
満たされていない側は満たされている側の排除を望む
それが正しい
集団の中で比較という概念を切り捨てる事自体
無茶な話だ
人がひとり消えた処で
分母がひとつ減るだけの事
報われた側が世界を変えず
這い上がり方だけを提唱しているのが
何よりの証拠だ
自分も他人もたかが知れてる
IFを求めてORを探ってもANDで終わる
この作業に心底飽きた
後は手段を選ぶだけ
ここ最近自分の書く文章が的を得ない
まぁ誰に宛ててる訳でもないから
誰がどう感じようがどうでもいいけど
自分で読んでも意味が解らん
消えれば関係ないか