何もかも投げ出したいと、そう思ったのなら、一度全て忘れてしまえばいい。
明日の宿題?仕事?なんですか、人間関係?どんな悩みであれど、死んでしまえば終わりでしょう?
失礼、綺麗事を述べたいわけでは無いのです。
ただ、投げ出せるのなら、終えてしまうのなら、いっその事、忘れてしまった方がいい。
たとえ怒られても。ありとあらゆる罵倒を食らったっていいではありませんか。
何故って、もう投げ出したいと思ってしまったのなら、死ぬ気でいるのなら、それはもうとっくに生きていないのと同じでしょう?
もう私は死ぬのだから、そもそも人と人は相容れないのだから、この世を生きている人間に私なんて分かるはずないのだからと開き直ってしまうのです。
死んで終わり。ただ、それだけ。死とは単純です。
ただ生き物としてはいられなくなるだけなんです。
悩んで迷って、感情に振られる。
なんて人間らしいのでしょう。
そう、人間だからこそできる所業でしょう?
喜ぶのも悲しむのも感情があるから、人間だから、だからこそ人間らしい。なんて焦れったい。
そんな人間に産まれたことを悔やみましたか?
それもまた感情故なのでしょう。人は人によって喜びも悲しみも、どちらも得られる。なんて、心地よくて、残酷なリズムを刻むのでしょう。
これこそが生きているということなのかとしみじみと感じさせる。
そうだ、わたしはもうすぐ死ぬ。
短命をどう扱おう、この世の全てを憎みながら、されど愛おしいと感じ、人間とはどういったものかよく理解するのです。
わたしは、生と死、世を渡るのに困っている人間がただ、羨ましい。
随分と人間らしいではありませんか。
皮肉では無いのです。ただ、濁りのないただの純粋な気持ちを、感じているのです。
どうしても、何もかもを捨てきれないのなら、捨てたいのなら。
話し相手でも、何でも。お相手しましょう。
さて、これまでの話は有象無象のたった一人の、戯言とでも受け取ってください。
私はただ、生きているうちに出来ることがあるなら、それをしてから死ぬのがいいと思ったのです。
生きて何をすればいいのか分からないなら私も共に考えます。
生き方に迷っているなら私が力になりましょう。
相談は何でも聞きましょう。
ただ、人の感じる心にも触れてみたいのです。