気がつけば50を過ぎた私。
親族や知人の訃報に「死」と言うワードを意識せざるを得なくなってきた。
自殺や死に場所についてググってたどり着いたこの小瓶に今の想いを書いてみる。
小学校4年〜30歳過ぎまで同級生数人から受けた陰湿なイジメや恐喝に我慢出来ず、逃げるように実家を離れて気付いたら20年くらいが経った。
おかげで(職場で先輩や上司からの陰湿なイジメにあっても)人間らしい生き生きとした生活が出来て幸せを感じる事が出来るのは、この選択が正しかった結果だ。
しかし最近頭を過ぎるのはイジメてきた奴の近所にある実家とそこに残した両親だ。
引越しして一軒家を買い両親を迎える余裕はない。
誰もがいずれ必ず他界するのは既定路線。
自分が実家に戻ったらまた彼等からのイジメの被害に遭うのかと思うと生きた心地がしない。残念な事に奴らはまだ生きている。
それなら私が奴らのために私が先に死ぬば奴らのイジメから解放される。
まずはどうやったら誰にも迷惑を掛けずに楽に死ねるか考えてみたが結論は全く出ない。
死ぬ瞬間って怖そう。一度死ねばもう戻れない。眠りの後は起きるが、死後の自分の意識は?先だった人達や歴史上の人物たちに会えるのかな?会えるのなら誰が良い?など想いをはせるも、いつ来るか判らない両親と自身の死の恐怖に怯えながら今夜もモヤモヤした気持ちのまま眠る。
気を紛らわすためのとあるSNSでは幸せそうな書き込みで溢れていた。
良いなぁ皆んな幸せそうで。。羨ましいぃ。。
見えない努力すら出来ない自分が情けない。
こんな感情を抱くくらいなら見なけりゃ良かった。ただでさえ夢敗れて自己否定な性格に加えて他人と比較した結果、劣等感や自己否定感だけが更に成長し生きること自体がしんどい気分になる。
あっちは今日もカラーで幸せな世界
こっちは今日も白黒で不幸な世界
さぁ 行かないと。
さぁ 帰ろう。
50過ぎても未だに過去のイジメに苦しめられている、情けない私の言葉に時間を割いてまでお付き合いしていただきありがとうございました。
私もあなたと同年代なので、身近な方々の訃報が多くなり、寂しい思いをする事が多くなりました。親ももう亡くなったり、施設に入っています。
某SNSはキラキラした自分を見せる場だから、実際より良い部分だけを切り取って見せているのだと思いますよ。
そんなのと比べても実際以上にその人達がキラキラして見えるのではないでしょうか。
ずーっと続いた陰湿ないじめが今でも心の傷になっているのですね。
思い出すとつらくなりますよね。
でも、そんな人達のためにあなたが死ぬ必要なんて全くありませんよ。
なるべくその人達と関わらずに、あなた自身が幸せになれたらな。と思います。
親御さんとは同居なさらずに、出来る事を出来る範囲で面倒見て行く事も出来ますから。