親が大人になる前に亡くなった。
これによって苦労したという感覚が奇跡的に無いために、親がいて羨ましいと思うことがない。
親がいて苦労している人の話を聞いていると余計にそう思う。
私みたいなのは珍しいケースなんだろう。変わっている。だからこそ悩む。
なんだこれ?
ボクはなんだ?
わからないんだ。
可能性として、親が病気で大変だったから途中でいなくなったからまともに育たなかったという考えはある。
そんな風に “親のせい” “子供時代のせい” に 結びつけようと思えば結びつけることはできる。
だからなんだ?
わたしには幾度となくチャンスがあったはずで、それはいつでもそうであるはず。
そうできないこと、そうしないことを、過去のせいにすることは逃げか正論か。
「そんなことを考えている暇があるなら働け」と、誰かは言うのだろう。
そしてわたしは「働きたくないから働かない」と言うのだ。
「それじゃあ生きていけないよ」と続き、「それじゃあ生きていけなくてもいいよ」と続く。
そして「勝手にしろ」と、見捨てられるのだろう。
まあ、見捨てられてないから生きられてるんですけどね。
それなのに、ぼくは「生きていたい」と願うのだ。不安なんだ。いつ餌が無くなるかわからないような状況だから。
誰も、ぼくを無理矢理引っ張って餌を取りに行かせようとしない。
小さい頃、一度あっただけ。母親だけそれをした。あの頃は酷いと思ったけれど、あれはあれで必要だったのかもしれない。どうだろう?それが続けばやはり死にたくなったのかもしれない。
自分はそういう人間で、そういう運命なのだとしたら、じゃあどうすればいいのだろう?
なにがどうなろうと、死にたくて、苦しくて、いくら理想通りになっても同じ気持ちになるのなら……
そんなぼくは、どう生きるのが正解なのだろう?
みんなと一緒に見つけてみたい。
みんなが生きやすくなる方法を。
安楽死を実現したいものはどうすればいい?
自殺したくないものはどうすればいい?
みんな悩んでいる。
大半ひとりぼっちで悩んでる。
同じような悩みも、相反する悩みも、何も、共有することなく。どうせわかりっこない。どうせ助けてくれない。迷惑をかけたくない。嫌われたくない。
ひとりぼっちになりたくなくて、ひとりぼっちで悩むんだ。
そんなひとりぼっちがたくさんいて、仲間になれることも知らないまま遠くへいっちゃうんだ。
まあ、いらないならべつにいいんだけどさ。
だって傷付かないとも限らないし。もう、傷付いてきたのだろうし。
ぼくもそう。
苦しんできたよ。人の世にいることで。
人間は傷付くから嫌いだ。平気でいられない。
自分のせいで誰かが死んだら嫌だから、誰かのせいで自分が死ぬことのないようにしたいのに、皆がそうじゃないところとかも嫌いだ。
そう言う自分がそれを実行できているかどうかわからないところも。
あとべつに人のせいにしてもいいしな。
そういう、好き勝手にできるとこも、なにもかもめんどくさい。
毎日、毎日、こんなことを考え書くことが出来ても生きることが楽になりはしない。明日は失くならない。
「助けてほしい」なんて言わない。
せめて、知ってくれよ。
こんなわたしがここにいることを。
ぼくも。僕も。ボクもいる。
俺もいるし。
わたくしだって。
今日も消えたい自分たちがいる。
死にたい君たちがいる。
生きたい皆がいる、この世界で息苦しく、つらく、息をする。
吐いてくれ。そして吸ってくれ。
呼吸をしてくれ。
同じ世界で、僕たちと……!
今日も、お疲れ様でした。
m(_ _)mペコリ