お昼の放送。
学校で、昼食の時間の時間や昼休みに流れる放送。
きっと大半の学校が行なってるだろう。
ガヤガヤとうるさく賑やかな昼休みの教室では、放送の音はほとんどかき消され、聞こえないなんてことは日常だった。
私自身、あまり注意深く聞くなんてことはなかったが、ふとした時に聞こえる放送が友達との会話のネタになることもあったし、友達がいないとき、寂しさを紛らしてくれる存在だった。
小学生のころは放送委員(視聴覚委員)に憧れて入ったこともあった。
最近では、コロナ禍により、学校では黙食が徹底されているので、より放送がしっかり聞けるようになった。
放送部の子達が、静かな昼休みを少しでも盛り上げられるように毎日明るく楽しげな放送をしてくれている。放送部の友人の声が聞こえてくるととても嬉しくあったかな気持ちになる。
先日、どこかで聞いたことのある声が放送で聞こえてきた。少し高めの鼻の詰まったような男子の声。クラスの子が『これMの声じゃね?』と言った。
Mは小学3年か4年の頃、私をいじめていた奴の1人だ。私は小6の頃、他市に引っ越したため、今ではMの存在もいじめられてた当時の記憶も薄れていた。
私が知ってるのは母から聞くMの話(殆どMの母親の話)からのイメージくらい。
うっすら覚えてるのはすごく泣き虫で、幼稚園の頃はいつも担任に抱っこされてて、おねしょをよくしてたこと。私をいじめていた頃はクラスのリーダー的な子の子分的存在で目立つようなタイプではないが、幼稚園から一緒で、明るく目立つ私を少しライバル視していた。
同じ高校に入ってることは知っていた。入学式の時、Mの母親が声をかけてきたからだ。Mの母親はMが私をいじめていたことなんて知らない。それに、私が引っ越したことも知らなかったみたいだった。きっとアイツも私のことなんざ記憶にもないのだろう。校内でも彼と会ったことは一度もなかった。
放送の最中、Mはとても明るくて、楽しそうだった。ふざけたことばかり言って、クラス内でもくすくすと声が聞こえる。私の知る彼とはまったく違うその声に私は耳を疑った。
クラスの友達が中学の頃、彼と同じ塾だったと言った。どんな性格だったのかと聞くと、いつもふざけたことばかりして、目立ちたがりな人だと言った。
人は変わる。良い方にも、悪い方にも。
昔は泣き虫で強い人にごまをすってばかりだったのに、今ではクラスの盛り上げ役の明るい性格になった彼のように。
いつも明るくクラスのムードメーカーだと言われていたが、イジメや数々の失敗を経験して、今ではその影もない、ネガティブでコミュ症の私のように。
でも彼は性格が変わったとはいえ、いじめっ子の本質自体は変わってないかもしれない。
少なくとも、今の彼をろくに知らない私にとって、彼はずっと自分をいじめたやつであり、それは変わらないだろう。
それでも少し彼の『いじめっ子』の部分も変わってくれてることを期待しておきたい。明るく変わった彼が、これからはいじめの加害者にならないように、彼にイジメを受け傷つく人がいないように。
イジメの加害者となる人間を生み出さない世界になってくれたらいいなと願ってる。
もう誰も、イジメの経験から人間不信になり最近では人前に立つだけで体も声も震えてしまう私のような人になってほしくないから。
今日もMが放送で軽くふざけながら世間話をしていた。そんな彼の声を聞きながら、ふとそんなことを考えていた。