この週末、ぜんぶ合わせて3回、
向こうへ行こうとしました。
周りはかなりひどい状態なのに、自分だけは意識も失えず、痛みも感じず、自分が何をしているのかよく見ろ、にがしてやるはずがないだろうって、ずっと、ずっと、。
この世界に居なくちゃいけなくて、
立ち去ることも永遠に許してもらえないのは、
なにかの呪いなのでしょうか。
相対的ではない、それ自体で価値と呼べるような
ものを見つけて、生きていかれることが、
このさきできるのでしょうか。
この世界が厭で、つまりこの世界を認識している
自分が厭です。きえてなくなりたい。
ヴィトゲンシュタインによれば、
人は自分の死を経験できません。
分岐した先の世界で成し遂げたほうの、
3人の自分は、安らかに眠っているでしょうか。
ほんとうにお疲れ様でした。
ほんとうに悔しいです。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
お便り拝見しました。
何かの事情で、よっぽどつらい思いをされたんでしょうね。
私もこれまで、自分なりに苦しんできたし、嫌な思いもしてきました。しかし幸いなことに、消えたいと思ったことはありません。不安材料には事欠きませんけど、この世に生まれてきてよかったと思ってます。自分は恵まれている方かもしれませんが。
私たちは、「生きている」と言うよりも、厳密には「生かされて」います。大きな力によって。
私たちは、この世に生を受けました。自ら望んだのではなく、物心ついた時には、すでに生きて(生かされて)いました。
でも、私は思うんです。人間は絶望するために生まれてきたんじゃないんですよ。そして、私たち人間の視野は狭いです。目の前の現実をすべて認識し尽くすことはできません。
だから大切なのは「気づく」ことだと思うんですよ。あなたの目の前の絶望的な状況がすべてじゃないんですよ。感謝すべき余地が必ず残されてるんですよ。
どうせ私たちは、いつか死ぬんですから、死に急ぐ必要はないですよ。死ぬ勇気があるのなら、腹を括って・・・最後まで行く末を見続ける価値はあると思うんですよ。あなたの人生にも、私の人生にも。
50代のおじさんより
ななしさん
小瓶主さんをそうさせた理由を、まずは生きている側の人へ伝えないと。
もしかしたら、そうさせた理由は変えられるものなのかも。
よかったら、また小瓶を流してください。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください