おはようございます、いつもお世話になり有難うございます。
今回の小瓶は、人生を終わった、未来も無い負け犬、ゴミ人間の遠吠えです。
ある人を忘れられず、その思いを表すために、何輪もの赤い薔薇の花、そしてその他の色の薔薇数輪を、先月末に枯れてしまうまで、
自室の日の当たるところに設置した、ガラスの瓶に活けておりました。
自分の表に出す事の無い、秘めた熱くて激しい思慕を表現してくれるのに、
燃えるような、目の覚めるような、鮮紅色の薔薇の花ほど、自分の心にぴたりと来るものがあるだろうか…と、密かに思っておりました。
11月に入り、あんなに美しく色鮮やかだった花が枯れ、生彩を失い色褪せ、トゲがびっしり生えた何本もの緑の茎だけが残った事が、
「恋」が私にとって、色とりどりで香気を漂わせる薔薇の花々のように、甘美で夢のように楽しい面だけでなく、
触れたり握ったりすると、刺さって血が出るトゲだらけの茎のように、厳しく苦しく痛い現実と、心の辛さと切なさが、
その面の裏側に貼り付いている事の反映ではないかと、ハッとしました。
一時期、思い切ることの出来ない苦痛のあまり、行き場のない、整理できず収拾のつかない思いを抱えておりましたが、
最近読んだ『賭博破戒録カイジ』5巻の、夜の繁華街を歩くカイジの絵が、私のその時の心境を表してくれていると感じました。
そしてうまく言えなくて申し訳ないのですが、『賭博破戒録カイジ』途中から登場する、カイジの仲間・坂崎孝太郎の、
ある願いを叶える事への、苦しみながらも情念と執念に満ちた姿とも、私のその時の姿と重なりました。(勝手な見方でごめんなさい)
片思いを否定しようとすればするほど、自分が心を捕らえられてしまっている事が分かったし、
思慕を捨てようとすればするほど、その人を思わないではいられない自分に気付いてしまい、内心非常に引き裂かれるように苦しい事が、何度もありました。
迷信深いと笑われるのを承知で書かせて頂きますが、今年の秋に引いた「恋みくじ」は【中吉】で、メッセージを引用させて頂くと
「熟した果実が落ちるように、時がくれば自然と事が起きるものよ。のんびり焦らず熟すのを待ってなさい。」
と書かれてありました。
ジタバタせず、投げ槍になるなという事かと、自分なりに解釈しました。
そして三島由紀夫の『春の雪』での、ヒロインの聡子に対する清顕の、切実に憧れて涙を流す程の想い、命を懸けるまでの恋慕の描写に、思わず共鳴してしまいました。
(その他、太宰治の『斜陽』『駆込み訴え』、樋口一葉の『十三夜』『うつせみ』、室町時代の歌謡集『閑吟集』等、今回の片思いがきっかけで新しく読んだ・読み直した文芸作品が何冊もありました)
でも、私自身は平安貴族や、『春の雪』に登場する貴族連中のように、
綺麗な恋愛事にばかりうつつを抜かしていられるような、いい気なご身分じゃない。
だから、働いて現実世界に生き、生活する事を中心に置いて誇りにし、プライドを持ち、
燃え盛り、迸って止まない思いを、心中の箱に、宝珠のように納め、しまって置きたい。
今この小瓶を書いているのは、2022年の12月の、寒い朝ですが、来年の1月~2月は、どうなっているだろうという思いも萌します。
ここまで読んで下さり、有難うございました。