画面から目を離して
現実世界への浮上。
そして、
無駄にした1日に何も思わないで
食べて、適当に身体のメンテナンスして、
おわり。
なんの予定もなくしたら、
こうも自堕落に、感傷に浸って一日は
終わってく。
わたしは、ナニカを誇示して、
わたしは何であるか
知らしめようとしているけど
実際、それすら嘘で。
自分ですら気づかない、
巧みな擬態。
人は、普通に感じて、
笑って、しょんぼりした声を出して、
驚きを見せて、過ごしてる。
(みんな本当は私と同じかもしれないけど)
わたしのこれはなんなんだろうな。
人と同じようにと、
振る舞いを計算され尽くした
一挙手一投足。言動。
それでも完璧ではないから、
人はあまり寄り付かないし
疲れてしまうし、
変人みたいな括りに入るんだろうか。
別にわたしが
何も感じないわけじゃなくて、
ただみんなが表現してるように、
オーバーにわたしのそれを
繰り広げてるだけ。なのかな。
なんだろう、はたからみたら
いつもニコ…ニヤ…みたいな感じで
笑ってるキャラクターを
演じてるように見えるのか、
ただ「えーわかるー!ちょーそれー!」
みたいなこと言いながら
たまにハア…みたいな感じになる
キャラ演じてるように見えるのか、
はたまたどちらもか、
どんな風に私は映ってるんだろう。
いや、上みたいな感じとなると
どちらにせよ地獄絵図みたいな
キャラクター性だけど。
自分のことを真にわかってないから、
真の性格を把握できてあげられないから
自分がどう振舞うべきか、
わからないんだろうな。
かわいそうだな、私という器が。
内向的か、外向的か、という
個人の性質に反したことをやると
ひどく疲れてしまうらしい。
当たり前だけど。
わたしはそれを間違えてるのかな。
でもどちらにしたって苦しい話だ。
いや、どちらが苦しいとかじゃないな、
きっとわたしは世間に許容されないほどの
内向的人間なのかもしれない、
でもそれじゃやってけないから
自分を騙してまで明るくした、とか…?
なんか違うなあ。
内向的な人間ではあるんだろうけど、
内向的な人にも友達は自然とできるのに
わたしにはできないんだな。
それが寂しいだけで、だから
それがいやで、頑張って特攻して
友達を得るのかもしれない。
どうしてだろうなあ、ふしぎ〜。
発達障害なのかもしれない、
と思うなどするけど(親が若干そう)
ADHDとかASDとか判別つかないし、
どっちもかもしれない。
思考的にはASDに似てる気がするけど、
計画が苦手だしよくものを忘れる。
でも、お前は軽い方だろ
大丈夫(こんな言い方きつくない)
って悪意なしに教育従事者の母に
言われてしまった。
でも要素あるのになんで両親は
子供の時とかも人間関係に
困ってないんだよおお!
まあ、
そもそもそれのせいとも限らない。
あくまでフツーの人で、
性格が悪いか、人と相容れないか、
それだけかもしれない。
ほんとになんなんだよー笑笑
自分がわからないのかな。
別に病んだからとかでなくて
ずっとわからないものを
誤魔化してきたみたいな。
わかんなくて、勘違いしてる。
私は何かに夢中で没頭している
変人であるという皮を被った、
ただ無気力で欲に塗れて
愛を享受したい赤ん坊のような
気が最近してきた。
もうそんなこと周りはとっくに
分かってるのかもしれない。
かわいそうだ、私は。
どうしてこんなに哀れで、
痴態を晒しているんだろう。
まっとうなわたしは
どこにも存在していないのかな。
ほどよく真面目で、
ほどよく努力できて
ほどよく息抜きできて、
ほどよく友好関係を築き、
ほどよく恋愛する。
ほどよく生きる。
なあんて、私からは
人の目に見えぬ苦労が
見えないだけだ。
他人の芝が青々しい。
私という精神性が
どこに存在しているのか
わからない。
なに、
こういうのって哲学なのかな。
人文科学が好きなのかもしれない。
ユングの心理学とか、
ミシェル.フーコーとか、
最近読んだ。
でもこのまえ文理選択
理系にしちゃったあ。
私がやりたかったのは
これだったのかな、
わたしがわからなすぎて、
後悔もままならない。
じゃあ東大に行って
進振りで解決‼︎
あはは、あほか
地方進学校からなんて
努力しないと入れねーよ
手遅れだばーか。
苦しいの?
私。
私に放棄された私が
こんなにも喘いでる。
でもわたしは人以上に
私を放棄してたの?
わたしはどうしても
社会のレールから逸れる人間で
レールに乗ってればうまく
自分というのを
身につけられるというか、
見つけられるというか、
形成されたのをはずれてしまったから
ダメだったとか、言い訳したら怒る?
社会に放棄されたとか
どこまでも人のせいにしようとする
自分の浅ましさがにくい。
言いたいことが
ぐちゃぐちゃでまとまらない。
でもわたしはここを自分の気持ちを
整理するのに使ってるのかもしれない。
考えて結論に至っても
すぐ忘れてしまうから
書き留めて、
あわよくば人に読んでもらって
わたしの情けない思想を、
承認欲求のための自慰を、
自傷を、
認めてほしいのかもしれない。
慰めてほしいのかもしれない。
あわよくばわたしは何か
求めてるのかもしれない。
本当に浅ましい。
スーパーフィッシェルだわあ。
あー、最悪。後で見返したら
恥ずかしいんだろうなあこれ。
私を肯定してほしいって、
欲求が見え隠れしてる。
でも、これがこの時感じた
わたしの全てで。
思考も、承認欲求も、感情もそう。
これがわたしの全てなら、
わたしはなんて陰気な人間なんだ。
やっぱり私は私を嫌いにはなれなくて
どこまでも愛してしまうのかもしれない。
なんだかなあ。
わたしのことを嫌いなのは
社会であるわたしなのかもしれない。
あくまで私は私のことが
好きなのかもね。
でも、社会っていう、規範という、
それに則って現代社会を
生き抜こうとするわたしが
この陰気で浅ましくてバブちゃんな
私を許せないのかもしれない。
とかいう、考察()
この前は感情的に愛の餓えについて
語ってたのに、なんか
ちゃんちゃらおかしいな。