テンプレートを生きるなら、その通り忠実に、何歪みなく生きればいい。
不真面目を通すなら、全力でふざけた人生を歩めばいい。
どうせ100年もない人生を、たとえ人からもらった命であっても生きているのは、自身なのだ。
背中についているものは糸か、それとも羽か
色も形も問わない。羽であるならば自由になれ。
糸であってはならない。親然り社会然り、教科書然り、自己啓発本然り。
誰のための人生ではない、ただ時の流れるだけなのだ。
どう生きようと、他者に干渉しない限りは自由であるべきだ。
現代社会が生み出した『人間社会に対する多様性』
尊重すべきだ、ジェンダーレス、女性の活躍の機会
こんなことを一つ一つ掲げればキリが無い、それに、小分けにすれば溢れて見過ごされることは多い。制度がすべてを解決しようとすれば、取り残されるものは多い。
なぜ、女性の大規模雇用があればニュースになるのか。
なぜただのスポーツは娯楽で、障害者スポーツは教育の一環とされるのか。
なぜジェンダーレスは少数者と表現されるのか。
多様性を尊重するのではない。
人間が多様であるべきなのだ。
なぜテンプレートが大半なのか、なぜ同じような人生を当然のように歩いていられるのか、なぜ同じような悩みを持つものが絶えないのか。そしてなぜ答えはないのか。
多様を許さない社会がまだあるのではないか。
まだ多様を特異だと思い込んでいる社会が広がっているのではないか。
笑顔で多様性を実現したことを誇らしげにしている人間は、いまだに特異を忘れていないのではないか。
表層を撫でて喜ぶな。根はさらに深い。
と言う話をなんとなくしただけ。