自分の話していることを、一歩後ろから聞いているような感覚に陥る。酷く不快である。そんな事を言いたいわけじゃないのに、面白くもない。情けなさと、不安感に襲われながら会話は続く。私じゃない私が話しているのだ。
呂律がうまく回らないのはいつからだろうか。
引っかかったり、言葉が出てこなかったり、聞きづらい声で話す。申し訳なさでいっぱいだ。円滑に会話ができていないのではないか。気を遣わせていないか。気持ち悪く思われていないだろうか。
物覚えがこんなに悪いようになったのはいつからだろうか。思い出もない。知識もない。教養もない。愛情もない。頭を三分の一も使っていないようなぼんやりとした感覚の中日々を過ごしている。
他人とうまくいられない。見捨てられたらどうしよう。
見放されたらどうしよう。
人といることは非常に辛い。不安で不快で苦しいのだ。
でも1人じゃ生きて行くこともできないだろう。
辛いまま生きていけばいいのだろうか。
はたまた、これは死の近づく前触れなのだろうか。
どうすればいいのだろうか。
えっ...!?
俯瞰的な思考ができてるのでは..?
なんか、演劇とかコンサートを開く人がそういう感覚になることが多いと聞くけど、もしかすると、そういう客観的に自分を見る力が強すぎて跳ね返ってきてるのかも知れないですね。
むしろスマートな印象を俺は受けました。
ここからは俺の意見ですが、
教養や思い出がないなら、借り物の教養や思い出でも良いと思うんですよね。
俺は物語をよく書くのですが、
真実を追う審問官とか、
復讐を誓う学者とか、
世界を旅する冒険者とか、
そういうのに憧れて、なりたいと思ったから物語を書いてます。
世の中には俳優や声優という人が居て、そういう人達は借り物の言葉で、あたかもその世界の住人になったりします。そして同時に評価されて愛されている。
俺にはしがらみがあって難しいですけど、あなたなら、もしかしたら、本当に何にでもなれるのかも...
いや、まぁ、知らんけど!
だけど、全部自分で作るとかダルいし、借りパクもあり!
呂律が上手く回らないのは、良い脚本がないのと、周りの雰囲気が悪いから!
という考え方はいかがっすか?