人は自分のやってきたことの責任を取って生きていく。でも、その責任に疲れてしまう時がある。
そこで私は、「こういう時もあるよ」等「決してゼロじゃないよ」などといった慰めの言葉を期待したりと人に甘えてしまう傾向がある。
それも、何回も。
いい年こいてなんだ。28のオッサンが何ほざいとんねんって話。
「こういう時もある」、「決してゼロじゃない」。そんなのわかりきってるだろうが!
それでも情けなくて、自分のミスを認めるのが怖くて、否定や罵倒を恐れて、自分を大きく見せるような滅茶苦茶なことを言ってしまったりする。※決して虚栄心ではない。
まるでダイマ・ゴードウィン(スパロボTのラスボス・中二病のオッサン)じゃないか。いや、そいつ以下だ。
普通に、何が悪かったのかを考えて進めばいいだけなのに、ミスを認めて、まあいいかと思って進めばいいのに。それが責任を取るってやつなんだろ?
わかってる。わかってる。
でもわかってないから同じミスをするんだろ? そしてそんな奴を周りの人は「噓つき」呼ばわりして、見放してしまうんだろ?
人は失敗からしか学べない。失敗を経験して成長するんだ。それが責任を取るってやつなんだろ?
主さん、失敗を認めることでプラスになった経験が、あんまりないのでは?
失敗を認めて前向きになれる人って、潔く認めたこと自体をきちんと褒められた経験があるんだよ。
「ちゃんと自分から謝ることが出来て、偉かったね」てさ。
でもさ、謝った時に「ごめんじゃないでしょ、バカじゃないの!」とか「ちょっと考えたらわかるでしょ?」とか「もういい…やっちゃったことは仕方ないし…」なんて、叱られたり、嫌味を言われた経験が多い人は、簡単に認められなくなるんだよ。
失敗を認めることは、自分の価値を大幅に下げてしまうことになるからね。
でも、認めないことで、周囲の評価は下がっていってしまう負のループになる。
まずは自分だけでも、褒めてあげたらどうだろう。
きちんと謝って、例え周りの目がその瞬間は冷たくてもさ。
自分だけは、俺はよく謝れたと、よく逃げなかったと、ミスして居心地の悪い状況でよく踏ん張っているなと、そう褒めてあげること。
基本的に、人の心は弱いし、楽な方に流されやすい。
責任とか立場とか、「大人は~であるべき」とか、頭で理屈を考えるだけでは、自分を変えることはなかなか出来ない。
自分で自分を褒めてあげられること、胸を張れる部分を増やしていくことが、心を鍛えて、本当のプライドを作るんだと思うよ。