慣れのほとんどは環境からくる。
ただその環境に踏み入れるのは自分の足。
それが自分の意志かもしれないし、誰かの意図かもしれ無い。
その環境に入ると個人差はあれど、本当の自分がその環境に染まっていく。
慣れとは怖いものだ。
自分の常識が塗り替えられていることに気がつかない。
今まで普通ではないと認められなかった自分が、それを認めてくれる団体に入ると
まるで自分が普通なのかのように感じてしまう。
この宛名のないメールもそうだ。ある意味団体の一つになりつつある。
宛名のないメールという団体がなくなったとき。
ここで認められてたことが認められなくなる可能性がある。
そこで初めて気がつく、自分は普通ではないと。
そもそも普通とはなんなのか。
普通とは自分を物差しで測るための理想な基準である。
周りを見た時、秀才、凡人、馬鹿、の三つのうち、自分の主観的価値観の凡人という理想。
それが普通である。
これは嫌味ではない。忠告である。
優しさと甘えは別物だ。
自分がまともになったのではなく周りがまともじゃなくなったという可能性も考慮する必要がある。