人生ガチャ外れた人への救済措置が一切ないこの世界。
小さい頃からまず親の介護、兄弟の面倒を見なければならず
すぐに虐待行為をするような親にそれが虐待で悪い事だという道徳観を諭さなければいけなかった。
まともな幼少期を送れたとは言えず、親がギャンブルでお金を溶かし小学生から生活費を賄うための内職の手伝い。
自分は好き勝手やる癖に子供の行動は制限が酷い人で、アニメは基本禁止、ゲームもダメで交友関係にもダメ出しでほとんど子供らしい事ができなかった、
なんやかんやで成人して、必死こいて社会を学んでこのシステムが何なのかを学んだ。
でも、どうしてもやはり人生がキツイ。
自分が今日進んだ一歩。それは普通の環境で育った人間が恐らく10年20年前に進んだ一歩。
成功の基準にスタート地点がどこかというのは含まれない。
人生スタート地点は格差があるのに、ゴールとされる地点が同じ。
ないない尽くしの自分の人生は努力する以外に道はなかった。
でもいくら努力してもマイナスから始まった人生をゼロに戻しているだけのような気がして物凄い虚しさがよぎる。
むしろ毎日が虚しい。
たまに思う。人間社会が今日まであるのって誰のおかげ何だろう?って
一握りの成功した人達のおかげ?天才たちのおかげ?
でもその成功者も天才も、結局は多く回された人生ガチャの一つでしかないんじゃないの。
何が言いたいかっていうと、ガチャを回さなければ人間は生まれない。人間が生まれなければ社会の発展もない。でもそのガチャの結果が排出された結果である個人に帰結するっておかしくないか?
自分も、紛争地帯で死んでいった子供達もみんな等しく自分で選択もしていない不可抗力のガチャの結果なのに、何故かその責任を取らされてる。
いくらなんでも酷すぎないか。
せめて何か救済措置があっても良いと思う。
なんで他者が作った人生の負債を自分が払わないといけないの?
なんでマイナスの人生からスタートしないといけないの。
それで、なんでまマイナススタートでもなんでもないような人達がメディアなどでその事に無理やり納得しろと言ってくるの
おかしいものはおかしいでしょ。
今までかなり長いこと、人間は発展や進歩は素晴らしいという価値観で代々洗脳されて来て、負の側面からは目を逸らし、ツケは先送りにして来ましたからね。
人類ガチャの恐ろしい所は、奴隷量産システムを兼ねている所です。
それなのに、誰もそのことに抗議も抵抗もしないだけでなく、自分からガチャそのものになってぐるぐる回すようになる。
自分にとって都合のいい「当たり」を引けると期待しながら。
被害者が何の疑問も持たず、次の加害者になることの繰り返し。
「子供は未来の希望」とか、寝言を言いながら。労働資源として使い潰す気満々のくせに。
本当に希望を託したいと言うなら。
多数の誰かが少数の誰かに搾取されなければ成り立たないシステムをどうにかする方向に動いて行かなければならないでしょうに。
"加藤諦三(かとうたいぞう)先生"という方の書籍をおすすめしたいです。社会学者の方で、親子関係や人生についての書籍をたくさん出されています。
ご自分の心が救われるような気持ちになると思います。
私は加藤先生の書籍を読む中で気づいたことがあります。それはまさになぜ生きているだけで辛いのか、そして私が生きている意味です。
ぜひ読んでみてください。
そして小瓶主さんなりの"自分の過去の解釈"と"自分が生きている意味"を見つけてください。
考え続けていると、フッと分かる時がきます。
これは私が経験したことです。ぜひ試してみてください。
特に小瓶主さんはご自身の心の問題に「親」が深く影を落としていると気づかれているので、絶対に人生開けると思います。
応援しています。