こんなにも「生きててほしい」と切望してても自殺する命が後を絶たない世界で、
「死にたい」と望みながら自死しない僕。
勝手に生きているから、勝手にすればいいと思ってる。
わたしが死なないのも、
誰かが死に逝くのも、
自分にとってどうでもいいことだ。
たまたま生まれて、それがこの身体で、自分自身で……
不登校だろうが無職だろうが周りに多大に迷惑かけようがどうでもいいんだ。
ただ自分の代わりに誰かに生きてほしい、それが地獄でも。
いま僕は自分のことを考えていない。他人のことを考えているんだから。
自分が天国にいるとか地獄にいるとか楽しいとか苦しいとかそんなことはどうでもいい。
自分の人生をどうこうしようとか思いを馳せるより、他人の人生を見てる方が好きだ。
頭の中で他人の人生を幸せに導く。
自分じゃない他人だからこそ、彼ら彼女らはハイスペックだ。そんな人間が幸せになれないはずがないから、脳内で勝手に救ってあげるんだ。
空想の世界に生きて、現実を蔑ろにする生き方。
現実を見せる言葉をわたしに届かせるのは困難だ。
私にとって他者は現実の人間で、現実に彼らが生きている以上その言葉は受け入れにくい。
わたしの隣になんて立たせるものか。
わたしの心に入り込めるものか。
届いてるけど、届いていないよ。
「ありがとう」も
「優しいね」も興味がない。
その言葉で生きようと前を向いても目の前にあるのは死への道だ。当然正しい。誰もが最終的にそこへ辿り着くのだから。
ただそれが自殺への道である場合には正しくないと言いたいけれど。
自殺したくないと望みながら、自死する可能性がある恐怖。生きているから死に怯える。生きているからこそ「何も感じない」とすることもできる。
とっちらかってる。
何が言いたい?
ボクはおかしい。そんなこと知ってる。
やさしい。そんなこと知ってる。
ありがとう。「はい、どうもありがとう」
無視しないで言葉を掛け続けてくれよ。
そうしたら君が生きてることを確認できるんだから。
たった1文字「あ」だけで何より素敵なプレゼントを私は手に入れられる。
私の他に誰かが生きているという証拠を。
死を切望するのがあたりまえの世界で、なぜだか生きている同士を見つけられる。
意味なく理由なく、もうほんとどうでもいいんだけどなんか親とされる存在から産み落とされ、なんか知らんけど死ぬまで生きるということをやってのけている存在がどうやらこの世界には何十億もいるらしい。
あまりに多すぎてこれまたどうでもいいけれど、なんだかとりあえず自殺しないで生きててくれていたほうが嬉しいみたい。
ごめんなさい、無茶苦茶で。
いつもありがとうございます。
またよろしくお願いします。