たとえば
世界中が感動する物語で感動できない独りがいる。
たとえば
世界中が駄作だという物語を傑作だという独りがいる。
そういう世界で生きていて、僕らはその独りの感情や思考を理解して独りぼっちにさせないことができるだろうか。
その必要があるだろうか。
歌を聴いていて、「これになにも感じない人が世の中にはいるんだろうなあ」と思っただけだ。
誰かを死へと追い詰めたことに苦しみを感じれない人がいるんだろうなあ。と思っただけだ。
人の死が苦痛じゃないほうが楽なのはわかるよ。
だってそれで心がいちいち痛くなってたら、毎日人が死に逝く世界で生きてなんかいけない。
そう思うから、誰かの死に悲しまないことはきっとおかしくない。
心の使い方が人によって違くて、同じ1人の中でも時と場合によって違くて……
あの時は何も思わなかったのに、今はひどく罪悪感に苛まれているとか。あるんだろうなあ、と思って誰かその時に止めてやれなかったのか……とか。
人の生って難しい。けど今日も生きてるんだ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前の有る小瓶
1通目のお返事様、私の小瓶に考えを巡らせていただき感謝いたします。
やはり難しいですか……
でもどちらかといえば理解を進めた方がいいと書いてくださっているのは有難いです。
どこまで思考の海に潜ればいいものか。
もっと浅いところで生きたほうが楽ではないのか。潜っていたいのに上がらなきゃいけない気がして……。確かに限界はきっとあるけれど、でも、進んでていいんですよね。なんて、
お返事いただいて思いました。
ありがとうございました。
ななしさん
難しいと思います。
その独りが自分が感じたように共感を求めるならば期待に応えることはできないかもしれません。
小瓶主様が人の死を苦痛に思わない人を理解できるように
独りを理解するのであればできるかもしれませんね。
あるいは物語の見解は相違でも他の理由で仲良くできたら独りぼっちにならないかと思います。
必要性ですが、日本のハイコンテキストな社会により多様性が推進できていないことや、無敵の人の犯罪を思うと
どちらかといえば理解を進めた方がいいと思います。
ただ、個人での対応には限界があるかもしれないと思います。
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