先輩や大人達から指導を受けその背中を見てきた。
俺もこういう大人になろうと思う事もあったが、世の中にはこんな大人しかいないのかと思う事の方が多かった。なぜなら後者との直接的な接点や指導される機会が多かったからだ。悪ガキであれば目に止まりやすく、手遅れになる前に良い教育者から良い指導が入る。いい子は内部から荒んでゆくので外部からは気がつかない。心にトラウマや傷を抱えたまま放置される。学校や家庭やどこにも逃げ場が無くなれば自ら命を絶つ可能性は高くなる。ナイーブになり、引きこもったり自分の世界に閉じこもったりして身を守ろうとするが、それを乱暴にこじ開けようとする無神経な大人が出てくる。価値観から人格までを否定するかのごとく、自分たちの正当性を立証する論理を展開する。そして「さあ、私を信じなさい」と神の導きを示しだす。笑い話ならいいが、笑えないのは事実、神がいるからなのだ。
神は多くのものを生産し消費してきた。経済を発展させ生活を豊かにしてきたのである。そんな神様に守られていなければ、自由な言動も身体表現もできないのだ。特に、公的な場所や場面で自由が許されるのは神様だけで、「お客様は神様」なんていうのは正にそれだ。また、「神がかってる」なんて表現が当てはまる人を見た事は誰にでもあるはずだ。恐れを知らず自由に振る舞う。ピンチの場面で現れて助けてくれるならまだしも、歯車のように回り続け次の展開が予測できる知的な世界で、神は余計な存在ではないだろうか?いない方が平和なのに、ピンチだと思い込んで「神がかって」現れてしまう!?
神は神様の正当性をひと通り証明したあとで「私を信じて戦うのだ」と子どもにけしかける。
「これが欲しくないのか?」と新しいおもちゃを見せびらかしながら。