色々な人を裏切りながら生きている
それは就活の最終面接を数日前に断ったり
親切にしてくれた店員さんが居たのに買わなかったり
約束してた日に実家に帰れなかったり
そんなことだったりする。
そういう何でもない日常で、
「きっと私はそうすることを望まれていたのに、しなかったのだな」
と酷く辛く感じる時期がある。
聖人君子になれると思っているわけじゃないが、
それに近い何かになりたいと思う自分は居る。
迷惑に思われたり不義理に思われることがどうしても辛くてたまらない。
店で商品を買わないのも面接を断るのも、自分に与えられた権利ではあるのに、それを自分が振りかざした時にそれをどう思われただろうかと考えることがどうにも辛い。
完璧に良い人間になれない自分が居ることがしんどくてたまらない。
自己肯定感の問題なのか、自尊心の問題なのか、私はどう脳みそを変えたら人並みにたやすく生きられるようになるんだろうか。
人は考える葦だと言うが、たやすく生きるために、私は考えない葦になりたかった。
普通は逆の事で悩むんだけどね。
買いたくもないのに買っちゃったり、断り切れなくて悩むんだけどね。
つまり、あなたは自分の意志がハッキリしてて、偉いってこと。ちゃんと自分のために判断が出来てるってことだよ。
優しい店員さんに懇切丁寧に説明してもらって、買わないと申し訳ない!って思うけど、そのお店の対応が良かったから、そのお店にまた行こうって思うじゃない。いい店員さんは、だからどんなお客さんにも丁寧なの。店員さんはそんなの分かってやってるし、それに次から次へとお客さんがくるから、正直覚えてないと思う。
採用の最終面接だって、当日じゃなくて数日前に断れば、会社側としてはその後に他の候補の人に連絡とれる余裕があるから、対応としては◎。
全然、不義理なんかじゃない。
裏切りなんて全く思わないよ。
それより、なんで完璧になりたいの?
というより、そういう事を笑って流せるようになる柔軟さがある人の方が、完璧だと私は思うけど。
今の自分をそのまま受け入れる強さがある人の方が、完璧な人間味を感じるけどね。
お堅い人間は、他人にもそれを求めるから、面倒なんだよね。だから、人間は少しだけ、弱かったり悩んでたりする部分がある方がいい。
だから私は今のままのあなたの方が、あなたの思う聖人君子像よりも、好感度が高いよ。