戦争や紛争により武力を伴った暴力が行使されたとき、メディアは、その非道を視聴者に感情的に訴える表現として、女性や子供を含む多数の民間人が死亡した旨を用いる傾向にある。そして、悪には正義で対抗しなければならないことを示す手段として、その暴力を行使した悪と推定される勢力の戦車や基地が正義と推定される相手方の反撃により破壊される様子の映像を放送する。
何が悪で何が正義がについては、また、戦争反対のみで平和が維持されるか否がについては、本稿では追究しない。この小瓶を拾った方に思いを巡らせてほしいことは、奪ってはならない生命を守るためならば奪ってよい生命がたやすく容認される愚かがあってはならないことである。
女性や子供を含む民間人を死亡させてならない一方、では、軍人は死亡させて良いのか。また、民間人と軍人との区別は何に拠るのか。例えば、軍の基地に納品する武器を製造する工場に毎日弁当を納品する弁当屋があったとき、どこに勤めているどの人が、攻撃され死亡することに正当性を与えられるのか。悪と推定される勢力の戦車や基地が映像の向こうで破壊されるとき、映像であるため実感は湧きにくいが、その向こうでは人が亡くなっているのである。
生命の尊さに軽重はない。不意の死は、あまりにも残酷である。
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ななしさん
どんな命であったかなどに頓着することなく、ただ虚しく命が消えていくだけです。
破壊と殺戮。
それだけです。
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