死にたいではなく、死ぬはずだったと言われた。
本当は今日で最後にしようと思った。
朝、来る前に赤信号で飛び出したんだ。車はクラクション鳴らして止まってくれたよ。
そんなに鳴らすなら轢いてくれれば良かったのに。
今日、帰り道にそう言われた。
正直、危ないと思った。
死ぬことに恐いとか、ためらいとか無いことが。
死にたい、と思って死のうとしたことは私だってあった。今は「自殺」という選択肢は、私の人生から捨てたけど。
死ななかったのは、恐かったから。恐くてできなかった。
でもそれが普通だと思う。
それが無いことが、危ないと思った。
きっと相当追いつめられてるんだ。
必死に説得したんだ。
半泣きで。
てか泣いたけど。
君に伝わればいいのに。
ちゃんと受けとってくれたかな。
「決心してしまったんだ。」
その言葉が恐いんだよ。
帰り際に私が「また明日ね」と言ったけど、君は笑っただけだった。
決心は揺らぐものだよ。
そんな決心捨ててよ。
辛いなら何時でも聞くから、寂しいなら一緒にいるから。
どうしても「決心」捨ててくれないなら、延期してよ。
最後を延期してよ。
延びた1日、私がいっぱい笑わせるよ。カラオケ行こうよ。飲みに行く約束だってしたじゃん。
私頑張るから。
神様お願い。
君が明日も来ますように。
違うな。
牽かれる事に躊躇いが無いのは追い詰められているからではなく、性質がドSだからですよ。いえ、ふざけているのではなく。
どん底の自分に浸って酔っているからですよ、「死ぬはずだった」だなんて言えるのは。
そういう状態だと、いくらあなたが泣いて見せてそんなふうに頑張っても“君”は救えない。
追い詰められている、というのなら自分でとっくに飛び降りてます。「死ぬはずだった」ではなく「死ねなかった」です。
どうしてそこでおもっきり殴ってやらなかったのです?
「あんたが死ぬのは勝手だけど、人に牽かせるだなんて、他人に迷惑かけるな!!人を不幸に巻き込むな!!」って。「牽かれたらこんな痛みじゃ済まないんだよ!」って。
鈴木、38歳主婦