自分の記録として。
東北(岩手県沿岸部)にボランティアに行かせていただきました。
大学生を専門に受け入れているプロジェクトチームに参加。
初日視察+4日間の仮設住宅でのサロン活動というのが主な内容です。
うちのチームは初日からサロン開催予定地が資材置きになっているというハプニングに見舞われ、他チームと合流させてもらったり
急きょ中学生の学習支援に回ったり、結果的にはそのおかげで
いろんな経験をさせていただくことができました。
初日、現地視察で愕然としました。
今はもうTVで放送されていたような瓦礫はだいぶ片づけられていましたが、殺風景な砂利が広がり建物の骨組み・折れたりねじれたりした看板などがぽつぽつと見受けられるそこは、つい半年前まで街があったとは思えないほど 何もなく て。そして静かでした。
玄関先の階段だけが残っているおうちに、花束が供えられていました。
それでやっと、「ここに人が生きていて、そして亡くなったんだ」と実感しました。
そのあとバスの中で味のしないお弁当を食べる間、みんな何も言えなくて、ただぼんやりと窓の外を眺めました。
気持ちを切り替えたわけではないけれど活動を始めた2日目以降。
上記のようにハプニングなどに見舞われ、臨機応変な
対応を求められ、チームの話し合いも毎晩消灯ぎりぎりまでおこなわれました。
チーム内ではサロンや学習支援での問題解決に向けていろんな意見が交わされ、不謹慎なのかもしれませんがとても刺激的で濃密な時間でした。
正直私は最初「サロン活動」って本当にニーズがあるのか?
と考えていました。
こどもたちは元気いっぱいだし、お年寄りはニコニコしています。
でも話しているとぽつりぽつりと震災経験の話がこぼれてきます。
携帯電話の写真を見せて下さると住んでいた家がうつっています。
「大きな家でねぇ。全部なくなっちゃった」
「津波怖かった」
色んなところから仮設住宅にやってきた人同士のコミュニティづくりや「話す場と人」の提供は実は必要とされているのだと思い知らされました。
帰りのバスのなかではほかのチームだった人の話も聞け、
そちらはさらに悲惨な経験を話してくださった人などもいて
思わず涙が出てきました。
お手伝いができたのかどうか、自分ではわからないし
できたとしても本当に些細なことでしかないでしょう。
自分がもらったことのほうが100倍多いです。
参加させてもらえてよかった。
私の夏休みは9月いっぱいまでです。
可能ならもう一度、違う形でもいいので行きたいです。
自分のふりかえりでもあるので読みづらくてすみません。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
俺にも時間があれば助けになれるのに。
ななしさん
不謹慎ですが
感動しました。
鳥肌が立ちました。
そういった活動は
素晴らしいことだと思います。
ななしさん
ボランティアは“人の為”に善意でするものだと良く言われますが、実際それで大きな変化が起きるのはボランティアをした側だったりするんですよね。
つまり“人の為”でもあるけれど“自分の為”でもある。
ボランティアは奉仕の心を学び、内面の深い所を育むものだと思っています。
あの大震災のあと、宮城の友達から色んな話を聞き、変わり果てた街の写真も見せてもらいました。
間接的に感じるものと直接的に感じるものは違う。直接的に感じる事が出来たら自分はどう思いどう行動するだろうかと何度も考えました。今は余裕がなく行けずにいますが、自分の地域で出来ることに参加して自分なりに動いています。
9月いっぱい、まだ時間がありますね。人を思いやり動く事が第一ですが、あなた自身も大切にしながら行動してくだされば、きっとボランティアを求めている人達もより喜ばれるかと思います。
長文かつ乱文を失礼致しました。
ゆち
ななしさん
ご苦労さんでした。
『情けは人の為ならず』
の極意を学ばれた様ですね。
労働の対価としてお金ばかりが優先されるけど、奉仕活動を率先して行い、金銭に対する感覚を見直すことも大事ですね。
そんな中からの義援金は些少であっても、また有り難く貴重なものですね。
いつ真逆の立場になるか、分からないのが人生…
あの世に旅立つ時には、三途の上段を渡れるような生き方を心掛けたいものです。
『情けは人の為ならず、巡り巡って己に巡る』
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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