自分は劣等感が強い
勉強したことがないから根拠を用意出来ず、自信のなさに繋がるんだと思う
特に劣等感が強いことをアピールしようと思わないし卑屈でいまいと努めているので、そこは大丈夫なんだけれど
自分の知識も他人より劣っていると感じる節があるため、他人が自分より無知であると、嫌味でなくただただ吃驚してしまう
「良心の呵責」とか「軋轢」「齟齬」、「腿」とかを読めず意味がわからないと言ってきた同級生はさすがに知識がないのだと思うが(さすがに自分も小学生の頃には使っていた語群であるし)、
茘枝という漢字の読みや跳梁跋扈の意味……などは一般的には知られてませんかね、知らんけど
ここの例は本当に難しかった、そもそもの本題であるわけだし……例として適切でなければごめんなさい
自分の知識の浅ましさを基準にすると、自分が話す言葉は日本人なら通じて当たり前だと思ってしまって
結果として見下すことになってしまうのが悩み
いや、自分は特別頭いいわけじゃないので、
本当に頭がいいひとはわかりやすいことばを使う、というのはどだい無理な話でありまして
「ここまでなら誰にでも伝わる」「ここからは相手を選んで話し方を工夫しないと伝えたいことが伝わらない」の境界線が分からないのも辛い
バリアフリーよろしく表現すべてを工夫すれば良いのでしょうけど、自分はめんどくさいのが苦手なのでできれば裂けたいのです、ニュアンスが微妙に変わってしまうのも嫌だし
それともやはり自分の関わってきたひとたちが日本語に明るくないだけで基本的に自分のことばはどこででも伝わるのでしょうか、そうだといいなとても良い
良心の呵責とか軋轢、齟齬などは、まあ使いはしますが、漢字で書いたり読んだりにつまづく人は案外いるかもしれませんね。私も書けと言われたら書けません。
後の何か例であげてくださったもの(すみません、読めないので入力できません)は、少なくとも一般的に広く知られている感じではないと思います。
見下す感じになるのがお悩みであれば、「知ってて当たり前」とは限らないんだなと小瓶主さんが認識しておくと、知らない人に出会っても驚かずにすみますし、全てを変えなくとも、伝わらなかった場合だけすんなりと違う表現に言い替えられたりするかもしれません。
私は無知だ。とか、これはみんなが知ってる言葉だ。とか、そういういろんな「前提」を、ちょっと緩やかというか柔らかくしておくだけで、周りとの違いや差に悩む気持ちもやわらぐかもしれませんね。
皆イロイロ。
知ってることもあれば知らないこともある。
それに関してジャッジをしなければ、見下した感じになりにくいのではないかなと思います。
あ、あと自分へのジャッジも緩めると、少し楽になれるかもしれません。
読めなかった単語(~枝とか跳~とかいうの)、早速調べてみます!
学びの機会も頂けて感謝です。
ありがとうございます。