自分が嫌いだからか何なのかは知らないけど、
自分にとって嫌なことがあると「分相応だな」とか「こんな些細なことで嫌になれるならいいな」とか嬉しくなっちゃうんです(些細なことで〜っていうのは、自分が嫌なことと良いことのバランスは決まっていると思っている人間で、めっちゃ嫌なことが起こるより些細な嫌なことがいっぱい起こる方がいいなって話です、語彙力が無い)。
逆に自分にとって嬉しいことが起こると「分不相応」とか後ろめたい罪悪感とか芽生えつつ、やっぱり嬉しいものは嬉しいというか。
素直に喜べるのはむしろ嫌なことが起こったとき?
嫌なことが起こる=良いこと、になりつつある、みたいな。
それならば私は嫌なことに対しても罪悪感を抱かねばならない?とか。
なんでしょう、幸せなことは少し不幸になりつつも「幸せ」据え置きで、不幸なことは幸せなこと以上の「幸せ」に変わるので全然分からない、というか
(自分は何を言っているのでしょう)。
自分は幸せを感じることに多少なりとも罪悪感を抱くべきで、それが法律では裁かれない過去の罪への贖いになると思っているので、そこを否定されても受けいれる気は無いですし、どちらにせよ罪悪感を抱くのはやめられないのですが。
でも全部幸せっていうのは困るんですよね、自分的に。先述したバランスが取れないので。
いえ、もちろん、幸不幸なんて人によりけりの考え方次第ですし、根拠も大した論理も無いただの空想なんですが、小学校中学年ころからずっと信じてる話なので、今更変える気もないというか(赤毛のアンを読んでそんな考えを抱いた気がします、もう随分読んでないですし曖昧なので分かりませんが(海外の児童文学にハマっていたころの話なので別のお話かも、セーラとか若草物語とか?))。
幸せより不幸のほうが幸せって感覚、ことばにすると変ですし「嬉しい」「嫌」のほうが伝わりやすい気もしますが、やっぱりニュアンス的には「幸せ」「不幸」のほうがいいんですよね。最初は「嬉しい」「嫌」と表現しましたが。
っていうのが頭の中ぐるぐるしたので、整理代わりに流します(整理できるわけじゃないし出来てるわけでもないんですが)。
心臓をトマトみたいにぐちゃぐちゃに潰しながらですが(頭の中で)、私は毎日幸せです。
みなさまもどうか幸せになれますように。