世に蔓延る「頑張れ○○!」は命令形。
言う方にその自覚は無いだろうけど。
言われた方が頑張っていようと、
過程を命令しておいて実質的な要求は結果のみ。
これがもし、両者間の信頼関係ありきの行動だったら、共同作業で失敗しても笑って許せるような関係にあるんだったら、頑張れ言われてもいいかもしれない。
(信頼してる人からまだ言われたことない)
でも信頼の置けない人からこうされたら、、、
命令は果たしているはずなのに、嗚呼残忍だ。
結果は大事。それは知ってる。
でも、過程を命令するのは違うんじゃない?
頑張れ頑張れって息をするように軽々しく、好きなだけその言葉を吐いても、結果を出すのは僕だからか、その言葉にどれだけストレスを感じて、どれだけ練習に支障が出ようとも、、、
きっと頑張りが足りないんだね、自己責任だねって結果を出せない僕を一蹴する。
貴方は結果が大事なんでしょう?
僕が結果を出すと喜ぶんでしょう?
それなら、口出さないでくださいよ。
自分の利益を追求したくないんですか?
いえ、したいでしょう?
口を出す方が貴方の不利益になるってこと、きっと貴方は知らないんでしょうね。
18年も親子をやってきて知らないことがあるのは仕方がない。
ただ、復習が大事と豪語する割に、口で何度伝えても態度を変える気がないのは堪忍しかねます。
嗚呼、今日もまた同じ過ちを犯して、
個人を侵すその振る舞いで、
僕の
邪魔を
しないで