何時だったか、高校生の頃に、安楽死に関するディスカッションのようなものがあって、
私はその時「死にたいと願う人に『死ぬな』ということは、生きたいと願う人に『死ね』というのと同義ではないか」といった趣旨の意見を出したように覚えている。
個人の人生は個人の自由であるべきだと、そう思っていた。
今、私の大切な人の中に、凄く苦しみながら生きている人がいる。
周囲に対しては明るく振る舞っているけれど、偶に話を聞く相手になっている。
私は、その人に死なないで欲しい、幸せであって欲しいと日々願っている。
昔の私が、今の私を見たらどう思うんだろう。
「生きろ」という言葉は相手によってはどんな刃物よりも鋭利で、どんな鈍器よりも重く、その人の心を抉る。
人生は人それぞれにあって、皆それぞれ違った価値観を持っている。
「幸せになって」という言葉を発する時、きっと私は知らず識らずの内に、自分の価値観を相手に押し付ける。
死にたいと請い願う人は、その苦しみを理解することもせず、只々楽に人生を生きている私のような人間が、
自分の、世間の価値観を押し付けて、生きることを強要することをどう感じているんだろうか。
自分でも思ってる。他人のくせに、その苦しみをこれっぽっちも感じたこと無いくせに、知った口きいてやがるって。
貴方は貴方の自由に生きるべき。それがわかってても、「死なないで欲しい」「幸せになって欲しい」と願ってしまう。
それが普通なんだよ、当たり前なんだよ、と言いたくなっている自分がいる。いてしまう。
こんな独りよがりで、押し付けがましくて、自分こそが正しいと信じて疑わない浅ましい偽善者な私を赦して下さい。
そして、心の中だけでも、此処だけでも、私の人生で最大の最低なわがままを言わせて下さい。
生きて下さい。死なないで下さい。生きる価値がないとか言わないで下さい。
そんなに自分を苦しめないで下さい。自分を傷つけようとしないで下さい。
不幸を嘆かないで下さい。笑って下さい。幸せに天寿を全うして下さい。
貴方が幸せであることで満たされる人間が、少なくとも此処に一人います。
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ななしさん
「死にたい」が願望なら、「死なないで欲しい」も願望です。
「死ぬな」は命令です。
「死んだらダメ」は一般論です。
そんな風に、言い方によって感じ方が変わったりします。(上記は一例であって、人によって感じ方は様々でしょう)
貴方の価値観が人を救うことだって、きっとあります。
ありがとう。
ななしさん
思いが届けば良いですね。
名前のない小瓶
自分には生きる価値がないとは思ったことがないですが、物心ついたころから将来はホームレスになって一人死ぬだろうとイメージしてました。
将来何になりたいかというよりも死ぬまでの時間をいかに苦痛なく過ごすのかがテーマでありそれを特別不幸とも思わなかった。
幸せには定量があり、誰が幸福ならば誰が犠牲になるという概念をぼんやりもっていました。
貧しく複雑な環境に産まれたたことと無関係ではありませんが最初に配られたカードでだいたい勝負が決まっているゲームのようなもの。生まれた後は消化試合をこなすだけ。
だから幸福などいらないから平穏に生き死んでいきたいというささやかな願いをもっていただけなんですが、それさえ奪いにくるのが他人です。自分の幸福を増やしたいから。
時間を奪い、問題を押し付け、騙し傷つけて、自分や家族が幸福になろうと貪欲な人々に辟易し、この社会へ絶望しか持てないのでできるだけ早く平安が訪れることを願っているのです。
私は安楽死という選択が希望になると考えているので、是非日本にも導入してもらえたらと願うのです。または思考を破壊してもらえるとか。
どの扉をあけても苦悩コースしかないゲームを延々と続けるのは悲しいです。
安らかになりたいと願うのはそんなに不幸なことなのでしょうか。
私にはわかりません。
ななしさん
昔と意見が変わっても当たり前だから、今かけてあげたい言葉をかけたらいいんじゃないでしょうか。
自ら死ぬのは簡単でないこと、とはいえ事故やなんや死ぬときは死ぬんでね。人間は脆いです。
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