今まで私は勉強して努力すれば自分が幸せになれるって思ってた。
でも、そうして努力した先に本当に自分の幸せがあるのか、分からなかった。
人に認められる?お金を稼げる?安定した生活ができる?
それが本当に私の欲しいものなのか?
分からなかった。
いい人になれば、みんな私のことを好きになってくれる、やりたいことをさせてもらえる。
そう思っていた。
でも、やりたくもないことを押し付けられたり、能力以上のことを求められたり、嫌な役回りをさせられたり。
これがいい人になった結果なのか。
勉強して努力する、いい人になる。それが私の幸せへの道だった。
でも、これで正しいのか、今自分がやってることがいつか報われるのか、そして、その報いが本当に私の欲しいものなのか。
誰にも分からなかった。
そして、ある日、その小さな疑念が、無視できないほど大きくなった。
そして、自分の終わりを感じた。
その終わりは、自分の生へと終わりなのだと、本能的に感じた。だから、何度も死のうとした。
でも、この終わりは今までの自分の終わりなのだと気づいた。
これからどう生きればいいかなんて分からない。
前のように生きるのもまた新しいのかもしれないが、どうせなら、もう一度自分の幸せのために生き直したい。
だから、私を憐れまないでほしい。前の生き方が間違っていたわけではない。ただ私には合わなかったんだ。
そして、前の生き方が失敗に終わったとも思っていない。
失敗と言ってしまうのは、過去の私に失礼だ。
必死に生きた過去の私は、偉いと思うし、尊重されるべきだと思う。
だから、あえて言うとするなら、今の私は過去の私とは別人なのだ。
それなのに、今の私と過去の私を同じと見るのは、今の私にも過去の私にも失礼だ。
過去の私は、自分の幸せを信じて勉強の面でも人柄の面でも努力し続けた。
その努力が他人を傷付けたことがあったり、自己中心的な行いや考えをして人を不愉快にさせたことがあった。
それについては謝りたいと思うが、そうしなければ、私は生きていけなかったというのも事実である。
今の私は、そういった努力をやめた。
自分のしたいことは何か、自分の幸せとは何か。今まで努力してきた時間の分それを考えているんだ。
勉強は細々と再開中。素直に勉強が好きだから。
そういうわけで、過去の私と仲が良かったり関わりがある人とは会いづらい。
同じ顔をして同じ声をして同じ口調で話す人間が、別人だなんて思えないし、実際生き方という面で変わっただけで、本質的な部分は変わっていないのだろう。
だから、どう説明したらいいか分からない。
分からないことだらけだ。
でも、ひとつ言えるのは、過去の私も今の私も可哀想なことなんて何もない。
ただあまりにも過去の私は嫌な思い出を持ちすぎていて、それを思い出したくないだけなんだ。
今の私に過去の私の生き方を押し付けられることに耐えられないんだ。(無理だし)
過去の私はもう終わりだ、永い眠りにつかせてあげたい。
もう一度叩き起して嫌な記憶を思い出させたくない。
とにかく、今の私は、自分のしたいことしかしない。必要なら働くし、勉強もする。
だが、それは幸せなんて不確定なものではなく、自分のしたいことを自分がするためである。
努力は常に自分のしたいことのためにする。
自分を評価し尊重する第一人者が、常に自分でありたいと思う。
いわば、自分が一番好きなナルシストになる。
自分だけが好きなナルシストじゃなくて。