比較的落ち着いた日々のまま、新しいステップを踏んでいる気がするみなねです。
落ち着いているので、久しぶりに所謂リア垢のツイッターを見てみました。
やっぱり見るものではないなと思い、殆どのつながりを断ったのは正解だったと思いました。
飲み込んだ言葉を吐き出すとき、私は、泣いてしまう。
どうして、あの子ができて、私はできない?
どうして、私が変わる努力をして、家族は変わらないって諦めるの?
どうして、家族から離れる支援を受けられないの?
その疑問ごと無かったことにしないと、更に苦しいから。
落ち着いてきたからこそ、その疑問たちを吐き出して次へ行こうと言われて、久しぶりに感じた辛さ。
諦めなかったら、苦しくて仕方なかった。
もう、いいや。うつ発症後それが私の行動の根本となった。
あとどれだけかかるのだろう。 ただ、普通に働いて暮らしたいだけなのに。
いつも、普通は遠い。
飲み込まなければ、意識していない事にしなければいられない程の苦しみ、葛藤が、伝わってくる気がします。
飲み込む事も、大変だったはず。
その上で自分を保つ事、苦しくないはずが無いと思います。辛くないはずが無いと思います。
時を経て、落ち着かれて。
また少し気持ちを吐き出す事で、今までに得た心の平安を破って気持ちが揺れて。
心配になり不安になられるのももっともだと思います。
普通に働いて暮らすのが、とても遠く感じられるのは悲しいですね。ましてや、いつも、なんて。
みなのさんの淡々とした悲しみが、達観した気持ちが、感じた気持ちのその深さを伝えて来ます。
普通、に憧れる。普通、がいいと感じる。何事もなく過ごせたら、と思ってしまいますね。
みなのさんの今の気持ちが、違っているかもしれません。その時は、ごめんなさい。