小さいころから、周りから大人びてると言われてきた。当時はそこまで不思議に思わなかった。人の顔色を窺って話をすれば何事も上手く回っていたから。だけどある時気が付いた。自分には本当の意味での『自分』が無かったことに。
いつも周囲に合わせて話をしてた。本当は好きじゃなくても、張り付いた笑顔で楽しんでた。言ってほしい言葉を掛けてあげてた。どうでもいい話を延々聞くこともあった、嫌な顔一つせず。好きなことだって場の空気によっては無関心を装った。好きなことに興味無い振りをするのが一番辛かった。だけどもう辛くなくなった。いつしか本当に興味が無くなってしまった。好きなことも、嫌いなことも全部どうでもよくなった。その結果、空っぽな大人が出来上がった。
退屈だ。だけど私にはその退屈を紛らわす術を持っていない。毎日ただ何となく生きている。やりたいことも、楽しみもなく。漠然と生きている。テレビはない。ネットもやらなくなった。この手紙を書いているのもただの暇つぶしだ。いつこの日常は終わりを告げるのか。そんな事ばかり最近考えている。最後に笑ったのはいつだろうか。最後に泣いたのはいつだったか。子供のころ張り付いていた笑顔は、大人になって無表情に変わった。感情が死んだ。次に死ぬのは思考だろうか。
がらんとした部屋だ。ベッドしかない。見る人が見ればここは独房だろう。空っぽな人間の部屋なんてこんなものだ。人はいつか死ぬ。物も同じだ。いつか壊れて捨てるのに、無駄なお金を使うことはない。小学生の頃、自分が物に執着していたのが嘘の様だ。だから余計な物は買わないし、お金がかかるのは僅かな食費だけだ。感情が死んでから食欲も無くなった。
暗くなると眠くなる。部屋を真っ暗にして寝る。閉め切った部屋の暗闇は私を落ち着かせてくれる。日輪が晴天でしかその姿を現さずとも、雫が雨天しか降りてこずとも、夜の帳は必ず下りる。その中で聞こえる動悸だけが私の生の証明だ。全てを諦めてもなお、胸の鼓動だけは止まることなく動き続けている。今この瞬間も。
生ける屍。今の『自分』を表現するならこの言葉がピッタリだろう。死んだ目をして生気のない顔。自分で賽を振ることを放棄し、人生を流れに委ねている。流れの行き着く先が何処とも分からず。
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名前のない小瓶
周囲に合わせて合わせて、自分の感情を押しとどめてきたんですね。
ずっとそうしていたから、感情がわからなくなってしまったのかな。
文章を読んでいて、言葉選びとか表現力が素晴らしいなと思いました。
感受性がなきゃ書けないような文だと思いました。
私はそう感じたよ。
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