スピリチュアルって、危険だと思う。
数年前、本やネットでスピリチュアルの存在を知った。
人生に役立つヒントがたくさん書いてあって勉強になり、そこからどんどん深く調べるようになっていった。
そして次第に、スピリチュアルの記事に書いてある通りにしなければ!と思うようになった。
その通りにできないことがあれば、自分が悪いのだと、自分を責めるようにもなっていった。
でも今は、何かおかしいぞと思うようになった。
スピリチュアルについて書いている人たちは、スピリチュアルは完璧な存在だと言っている。
「不平不満愚痴は絶対に言ってはいけない」
「答えは自分の中にある。他人に答えを求めてはいけない」
「起きている出来事は、全て自分の責任だ」
「相手を許しましょう」
スピリチュアルではお決まりの言葉だ。
でも、何かおかしい。
誰にだって辛い日がある。
そんな時には思い切り愚痴や不満を言ったって良いじゃないか。
人生に悩んで、どうしたら良いのか分からなくなる日もある。
そんな時は、誰かに答えを求めたって良いじゃないか。
どうしても辛い時は、
「あの人が悪い」と思ったって良いじゃないか。
どうしても許せないのなら、
許さなくても良いじゃないか。
あれもダメ、これもダメ。こうするべき。
そうやって自分の辛い気持ちを押し殺して、無理して笑って、無理してポジティブになれって?
なんだかロボットみたい。
もし神様がいるとしたら、そんな姿を見て、
「素晴らしい!」と思うだろうか。
「精神レベルの高い人だ」と思うだろうか。
というより、神様は
あれもダメ、これもダメ、なんて
制限をかけるだろうか。
そうやってスピリチュアルの世界を信じきって、
スピリチュアルの教え通りの道を歩むより、
自分の気持ちに素直になって、
怒ったり、泣いたり、笑ったりした方が、
よっぽど人間らしい。
スピリチュアルの教え通りになんか、絶対に行動できない。無理なんだ。
でも、そんな自分を許していこうと思っている、今日この頃だ。
名前のない小瓶
111156通目の宛名のないメール
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お返事が届いています
私は自己啓発やスピリチュアルにどはまりした結果、今鬱状態に近いものになってしまいました。
きっかけは「自分の幸せのため」。知識が新鮮で「自分にも凄い奇跡みたいなことが起きるのでは」とワクワクしましたが、そのうち「その通りにやらなければいけない」と脅迫めいたものになり、「叶わないのは理解が足りないからではないか」「何が正しい?」「苦しいのは私が間違ってるから?」「もうどうしたらいいのか分からない」とこの数ヶ月死にたくなるくらい辛い日が多いです。
そっち系の本は捨てました。でも知識が残っていて、すぐに「◯◯しないと叶わない」という思考になります。苦しいです。
「危険だ」と思ったあなたは良い判断だったと思います。
私もできない自分を責め続けての今なので、これからは自分の気持ちを、喜怒哀楽全てをまるっと受け入れて行きたいです。
小瓶主さんへ
小瓶主さんが最後に言われている
「自分の気持ちに素直になって、
怒ったり、泣いたり、笑ったりした方が、
よっぽど人間らしい。」
「そんな自分を許していこう。」
この言葉が真理だと思います。
そう、ご自身で思えたことに意味があると思います。
私には盲目にスピリチュアルな考えを信仰している母親と、小瓶主さんのように真理に気づいきスピリチュアル的な言葉の意味を理解している伯父がいます。
盲目にスピリチュアルな考えを信仰している母親は苦手です。
気持ちが落ち着くどころか我慢しかしておらず、どす黒い気持ちが心の奥で渦巻いています。
伯父はよく笑い、落ち着いて人に世の中はこういうものだと話すことができます。
スピリチュアルな言葉は、言葉だけ聞くと誤解するものが多いです。
そして、スピリチュアルを悪用して気持ちを押さえつける言葉になっているものもあります。
小瓶主さんが挙げられていた言葉について、私なりの解釈をいれてみましたので興味がありましたら読んでみてください。
「不平不満愚痴は絶対に言ってはいけない」
→『絶対』を使っているあたり強制力が強い言葉ですので、気持ちに自由がなくなります。
この言葉は、聞いた者をこのルールに縛り付けることになるので聞く必要はありません。
恐らく言葉には力があるので、マイナスな言葉を使ってはいけないと言いたいのでしょうが、それ以上に心を窮屈してしまう方がマイナスです。
「答えは自分の中にある。他人に答えを求めてはいけない」
→他者評価中心の行動をとっている人には、先の言葉同様に自由を奪う言葉になると思います。
他者評価というのは、答えは常に相手がもっていて自分の行動がその相手の答えに合うかどうか気にしている状態です。
自分の道の前に障害物があったとして、『避ける』や『移動させる』など行動を起こすでしょう。
障害物が人に変わっただけです。
自分ではどうしようも出来ない人は『避ければいい』
少し話せる人なら、一声かけて『移動してもらえばいい』
自分がどうしたいかで行動していいんですよ、という言葉です。
語尾の『いけない』という言葉も強制力があるので反発したくなりますね。
「起きている出来事は、全て自分の責任だ」
→これも『責任だ』という言い方が気持ちを窮屈にさせますね。
自身で世界を作り上げていっていいんだよですね。
相手がどう思うか考えるあまりに自分が望まない選択をし続けている人が多いです。
その選択が後々の自分の未来にまで影響していきます。
しかし、相手の意図をくみ取っただけなので相手が責任を認知してくれることはありません。
相手を想うがあまり、自分に嘘をついてしまいます。
自分に素直になり、自分が思う選択をしていいんだよ。
何故なら自分で責任をとっていくのだから、ですね。
「相手を許しましょう」
→なかなか難しいことです。
前の言葉が理解できると、つながる部分があります。
自分に嘘をついて、周りの人や時代などの環境に影響を受けた選択をしてきた人がたくさんいます。
ズルい人、攻撃的な人、だましてくる人などなど。
しかし、その人にも理由があります。
ですので、そうなった『過去』を許しましょう、ということですね。
『過去』を責めても変えることが出来ませんから。
私の好きな言葉に「汝、その者を許したまえ。その者は何をしようとしているのか分からないのだから。」があります。
自分を分析して、今の行動を意識して選び取っている人は少ないです。
無意識に突き動かされています。
そのことに気づいた方から許してあげてね、だと思います。
しかし、すべてを受け入れろというわけではないです。
そういう過去があっても、自分に合わなければ避けていいし、必要最小限の接し方でいいです。
長くなりましたのでこのあたりで。
自分の考えばかりで申し訳ありません。
小瓶主さんに幸多からんことを。
失礼します。
スピリチュアル、宗教、詐欺、全部おんなじもの。
人の弱みに漬け込むもの。
神様は、高いところながら皆を見下ろして、お正月にお参りに来れないこともご存知ですから、安心して都合の良い時に来てください、12月から元旦参りができます。来れない方は心の中で拝んでください。
そのくらい大雑把なくらいでちょうど良い。
私も昔スピリチュアルにどハマりして、後にその類に疑問を感じて触れるのをやめました。
それを見てる時はやる気が出て、何だか指標を与えてもらったような気持ちになるんですよねー。
確かに、スピリチュアル系のものって大体似たようなことを書いてますよね。
「全ては自分の中の問題である」
「どんな事にも感謝しよう」
「そして自分の精神レベルを上げよう」
私がよく目にしていた文言でしたが、なるほどと思いながらも実践が続かず、段々窮屈になって辞めました。
本にこう書いてあるのに、その通りに出来ない自分にひどく失望したりもして。
けど失望する必要なんて全然無かったんだよなあ、と主さんの言葉を見て思いました。
自分は何も悪くないのに不利益を被ることだってあるし、
愚痴だって言っていい。
何事にも感謝なんてしなくていいし、
精神レベルがどうかより、今の自分の心に寄り添う方が大切ですよね。
◎そうやってスピリチュアルの世界を信じきって、
スピリチュアルの教え通りの道を歩むより、
自分の気持ちに素直になって、
怒ったり、泣いたり、笑ったりした方が、
よっぽど人間らしい。◎
この言葉にはっとしました。
完璧じゃなくていいんですよね。
私も人間らしく、喜怒哀楽を持って生きようと思いました。
主さんの小瓶に励まされました。
ありがとうございました。
スピリチュアルってこわいですよね。
科学的根拠があれば納得して信じます。
例えば、スーパーポジティブな言葉、できる、できる!と自分にいい聞かせると、脳からどいう物質がでて、行動に移しやすくなりますとか、、、(例えば)
できるって言い聞かせても実際に、解決策だったり行動にうつさなきゃ意味ないと思いながら、アンチポジティブです(笑)
愚痴らないとやっていけないこともありますよね。
主さんが言うように私も人間らしく生きていきたいと思いました。ありがとうございます。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
今回も恋愛話聴いてください!前の小瓶から登場してる私の好きな人(1つ上の先輩)の話です
話聞かない仕事できないおばさんのせい。職場にいるしごとのできない入社1年目のおばさん。引き継ぎができないの
自己否定…自分はなんてダメなやつなんだろう。何をしていても自分は役立たずで、どうしようもなく消えてしまいたいと思う
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私と君の嘘
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あんな嘘つかなきゃ良かった。結局自分を偽ったって離れる人は離れるのに。誰かを傷つけてまで生きていく資格なんか私には無いんだだから死なないと
自分勝手でわがままで自分の事だけで精一杯で他人の事なんて考えられなかったあの頃。
どれだけ死ねばわかるのだろう、何十人、何百人、もっとたくさん
ずっと1人で