あなたのいちばん辛かった出来事は何ですか?
私は、今中学三年生です。
私は小学五年生の時に精神科に連れていかれました。 「私は怒ると物に当たることは障害だお前は普通じゃない。きっとお前は私の本当の子じゃない、赤ちゃんの時に病院で間違えられたんだ!」と母親に言われて連れていかれました。こんなことは初めてで病院では本心を言えませんでした。
私は中学二年生の時に検索履歴が自殺方法で埋まるほど病んでいました。学校の先生から勧められて心療内科に連れていかれました。検査をして自閉症が発覚しました。
告げられた時にお母さんが号泣していたのが忘れられません。
それから私の中に生まれてきたのが間違いだったんだと思うようになって、その気持ちは痛いと感じるか吐かないとおさまりません。
生まれてきてごめんなさい。
死にたい...
自分のことばかりでごめんなさい
死にたい。うん。死ぬことで救われるなら、それも選択のひとつ。ただ、死ぬってホントにエネルギーを使うんだよ。
辛かったこと。わたしは今もなお辛いかな。
父親が最低でね。小さな時から家にお金を入れないせいで、食べ物も着るものも何もかもが母親の貯金の切り崩しで生活してた。銀行に行ってお金を引き出そうとしたら残高がありませんって聞こえてしまって母親が無理やり笑ったのを覚えてる。
そんな父親がひょんなことから社長になった。暮らしは変わると思ったけど、結局お金は自分のためにぜーんぶ使って、挙げ句自分の母親が亡くなったのに葬式代金は母親に払わせて知らんふり。
私も私で中学、高校とイジメにあって人が信じられなくなって。大学は推薦を貰ってたんだけど、父親は金を出さないと騒ぎ、結局流れた。そのまま就職したんだけどまともに仕事できるまでもなく、辞職。抑うつ状態で家で静養したんだけど、その父親にぐちゃぐちゃ言われて悪化。うつ病にパニック障害、自律神経失調症とまとめてなってしまった。今もなお。薬を飲みながら暮らしているけど、何度も家から追い出され、入院し、近所からも冷たい視線を浴びる始末。
父親の顔はもう見れないし、なんなら目の前に現れようものなら何もしゃべれなくなってしまった。
何度も思ったのは、言うことをハイと言うだけのロボットでいればよかったのかなって。
ただ、もうそんなこんなで発病から15年経ったんだ。
死にたい時に限って友人から連絡が来たりね。すごく、運が良かった。バラエティ番組を見ていたら、その楽しそうな雰囲気で心が壊れて死ぬ為に街を彷徨い歩いた事もあった。貰った睡眠薬の過剰摂取で緊急搬送されたこともあった。
でも、今生きているのは、偶々ネットで知り合ったひとりの女性のおかげ。
その人は、わたしの書いたことよりも重く、辛い過去を持ってた。親にはまともに愛情を受けられず。若くして子を産んだけれども親権を奪われ離ればなれに。好きだった人と夜逃げを繰り返し。生きるために体を売ってお金を稼いだ。なんてことも教えて貰ったし、知ってしまった。話したくない事だろうに、それでも聞いてほしいと。そんな人と話をして、支えになった。救われた。なんてはじめて言われたんだ。
その人にも言ったことを、あなたにも贈ります。
親に愛されたくて、一生懸命がんばってるあなたは立派よ。わたしは、そんな事はもう考えなくなってしまったから。そんながんばったあなたをあなた自身が許してあげて。辛いときは泣いてそのまま寝て、なんとなく顔を上げられたら一歩だけ踏み出せばいい。がんばらなくていいの。いつかがんばる時が必ずくる。やりたいことは何?何もない?なら、ゆっくり考えよう。なんで?をひとつひとつ紐解いてみよう。そこまで出来たら、自分を俯瞰から見てみよう。何が良かったか。何が悪かったか。相手の何が良かったか。悪かったか。世界が変わるよ。やってみればいいのさ。ダラダラ起きて食べて寝てを繰り返してもいい。生きるって事は何かなんて決められて無いのだから。100%は世の中存在しない。必ず成功と失敗がある。それでもダメだと思うなら、ひたすらだれかを頼ればいい。話だけでもいい。手を差し伸べてくれる誰かがいる。だから一緒に生きよう。
長々と書いたけど、あなたの救いになれたかな?
死っていずれみんな必ず訪れるんだよ。ただ、それでも死にたいと思うなら死ねばいい。これはこれである意味の救い。ただ、死ぬ為に力を使うよりも、生きるために力を使おう。なんとかなる。
『がんばれ。負けるな。力の限り生きてやれ」