自分は運が良い人間だと信じて生きてきた。
自分の運の良さに自信を持っていた。
でもそれは、ただ自分にそう言い聞かせていただけだったのかもしれない。
「私はこんなにも恵まれた環境で生きている。」
その思いがずっと根底にあったから、辛い事があっても、嫌な事があっても、時間が経てば「大した事ではない」と、立ち上がっていた。
素直な人間だった。
でも、そんな"幸せな思い込み"は、大人になるにつれ、徐々に覚めていく。
"幸せな思い込み"。それは、健全な環境で育った人間なら誰しも持ちうる事になるであろう、"レジリエンス"と言えるものかもしれない。
しかし、年齢を重ね、少しずつ見える世界が広がっていくにつれて、自身が持っていたそれらが少しずつ、失われていくような気がした。
これは健全な成長の一環なのだろう。
社会の荒波に揉まれ、挫折を知り、自分の至らなさに歯痒い思いをする事。
生きていく上で、そういう経験はきっと必要なのだろう。
健全な成長の筈だ。
それに今も、自分は恵まれた環境にいる筈なのだ。
それならどうして、希死念慮なんてものを持つようになったのだろう?
自殺場所の下見に行った時、自分で望んでそこへ来たと言うのに、まるで連れていかれるような気持ちになったのは何故だろう。悲しさのような、虚しさのようなものを感じて、自然と涙が込み上げたのは何故だろう。
数年前までの自分は、素直で幸せな人間だった。
その人間は一体どこへ行ったのだろう?
現在の自分は、捻くれていて、虚無な人間だ。
どうしてこうなったんだ?
どうして大人になってもなお、こんな自分探しみたいな青臭い真似をしてるんだ?
年齢を重ねる程、自分が実は弱い人間だった事を思い知らされる。
強い人間なんて、本当はずっといなかったのか。
今ここで生きている事が、まるで全部、夢の中にいるみたいに感じる。
昔の事も、全部、夢の中で見た光景みたいに思える。
それらが全部現実だなんて。