ある方が、意訳は答えに通じるとお考えをご教授くださいました。
ただ、それだと前提がうまく行っている部分にのみ固定されてしまい、僕の意見の前提を吟味していただけなかったんだなぁと思わずにいられなかったので僕の意見を開陳(苦笑)
僕は意訳を否定しません。むしろ推奨します。
その繰り返しで、間違いを乗り越え、理解しあえる現実があるから。
そして超訳も生まれ、理解への前進を見せているから。
だから、逆説的に「この解釈が正しい」は、有り得ないんです。
その言葉自体、原典の言葉自体で理解しなければ正しい解釈はなく、あるのは改編なんですね。
何故か?
人間は互いを理解する範囲が僅かしかないのが現実だからです。
と言うのも、意訳にもたらされた紛争や戦争、同じ言語でも起こる誤解や意見の相違が例になるからです。
結論を言えば、古い言葉の解釈も意訳も、オリジナルを新しい文化のなかで、もしくは異文化のなかで「生に近くその対象を感じ取れる様にした代替物」である事にはかわり無いんですよね。
文法に依拠すれば理解できればそれで正しいでもいいですが、僕のように哲学に依拠すれば真理のようにシンプルにして万人に通じる言葉や表現になって初めて正しいんです。
振り返ると理屈っぽくて、間違っている可能性もあって文法系でなく哲学系と賞賛しているようでいやだけど、一つの考えだと僕は胸を張りたい。
ただ、
A dog barks.
犬は吠える。
のような文章まで言及しない事を勧めます。
たしかシェークスピアの生きた時代ごろの近代英語には登場していて、まだ単語はかわって居ません。
これに関しても突き詰めるには、哲学型の文法理論やら意味論やら、言語学系哲学理論をとことん学ぶ必要が出てきます。
例文は意訳も必要ない意味の同じ言葉ですが(苦笑)
今だから軽くいなせる言葉も、当時は試行錯誤の末解明しているから。
それで飯を食うわけでなければ、言葉自体を生で覚えるほうが有意義です。
暴挙につぐ、乱文失礼しました。
こんな屁理屈でも自慢と言いたい方いれば、甘んじて受けとめます。
以上、独り言でした。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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ななしさん
なんか…話が難しくて殆ど何を伝えたいのか殆ど分かりませんでした…。すみません…。
ななしさん
いいたいことがわかりません…
わかりやすくお願いします。
哲学ですか…?
ななしさん
御免御免、御返事遅くなりました
君の御意見を無視した訳でもないからね…
哲学専攻なんですか…私は英文なもので…
論理の設定から違うわなぁ~
それと君に意訳の定義を教授したつもりは無いんだけどなぁ~
でも君がそう取ったとしたら私がいけないのだよなぁ~( 反省)
話は飛んじゃうけどね以前、漱石の「こころ」についての小瓶が有ったの覚えてるかい?
あれもさぁ、いきなり英訳された「こころ」を和訳せよで、始まった学生時代、焦ったよ本当に…で結果的には和訳に翻弄されて、何にも真髄を覚えていないよ…
まぁ、そんな愚かな俺さ…
ただ人生はさ
ダンテだバイロンだと云うのも解るよ、けどな本当にこころ穏やかに成れるのは何かなぁ~勿論日本人としてだがさぁ~?
今晩はかなり酔ってるのでこれでかんべんな…
君を無視なんてしてないぞ、とただそれだけ…
失敬するよ、じゃ…
ななしさん
<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>
※投稿者です。
先ずは、お詫びを二点。
一つは、噛み砕いたつもりなひとりよがり。
もう一つは、勘違いさせた。
謹んで、お詫び申し上げます。
まとめて答えにしたいと思います。
先ず、僕の専攻は英米言語学です。伝統文法を教授に学びました。中学で習う文法の総体です。
その傍ら、独学で変形生成文法や意味論などを学びました。これらは文法論の形を借りた哲学です。
それを思い出すと、自我が先行してしまいました。
すみませんでした。
例えば
a=b(a.bは共に数字、数列、事象を問わない)
aはbである。
数学でも伝統文法でも、ともに同じ内容や現象などを現す場合、両方正しいと解釈します。
そこに、「何故」はありません。
ですが、変形生成文法の流れを汲む意味論では、なぜこの形で正しく、またこの意味になるのか?をも考えます。伝統文法には無い論点です。試みはありましたが。
僕の場合、この意味論の立場で話させてもらいました。
ですので、「今はその意味であり」正しいと解釈されるが、その正しさは保証「されていない。」誤解の可能性もあるのだ、ってなります。
そのため、代替物なる言葉が出ました。
あと、今はチョムスキーの文法の哲理はだいぶ寂れてきていますので、学ぶなら実際に使われている生の英語のほうが役に立つとさせていただきました。
わからなければ、僕も理解を深めるため、形を変えて説明いたします。
失礼します
ななしさん
しっかりと勉学に勤しんでいて、説得力が有りますね
初めて知った言葉もあり凡人の俺には理解しにくいかなぁ~(笑)
と云うか勿体ない話だよ俺には…
酒を一人呑みながら
一茶、藤村や芭蕉を
思い出すのが愉しみな現況です
一つ悩み事が
「信ずる者は救われる」と
「信ずる者は幸いなり」
私は「幸いなり」を
使いますが…
出来ましたら解説を
願います
暇な時に…
では失礼しますよ
ななしさん
<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>
※投稿者です
共に、助詞の「は」によって、「信じる者」に話題の焦点が当てられる構造です。
違いは、前者は能動態をとっていることから、これから行為者に何かをなされる、或いはその最中と捉えられます。
よって、共通する文脈を持つ人たちに、共有された行為者は、言葉から姿を消しておりますが、それにより、条件を揃えれば動詞の示す結果になると考えられます。
従って、乱暴ですが、行為者の要求を満たせば行為が与えられる、即ち「救われる」と解釈できます。
後者は、保語によって状態を示しております。
すでに前提条件を満たしたからこの状態にあると。
故に、行為者の目的である「幸い」が当てはめられている。
前者は「このように」信じるからそのものは救われるであり、後者は「行為を果たしたから、果たしているから」幸せな状態にあるです。
乱暴ですが、短くまとめました。
遅くなりまして、すみません。
ななしさん
ありがとう御座居ます
勉学に忙しい最中に余計な、お願いをしてしまいました
私も御蔭でスッキリとした思いです
最初のフレーズは宗教団体が勧誘の際によく使いますね
御返事をこれから更に熟読させて頂きます
私は学歴については、「あくまでも就学の履歴であり単なる付録」の論者ではありますが、学問を否定したり大学生をないがしろにしている分けではないので、御理解して下さいね
そして現在の努力がいつの日か報われる事を念じます
付録と一口に云っても使い方、愉しみ方、磨き込み方で人生は変わるとも思っております
じゃ、取り合えず
see you again に
しておきますか?
(⌒~⌒)
紫煙
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