今日まで祖父母の家に行っていた。
両親の祖父母の家が近いので、どっちにも行く。
自宅から飛行機で行くので、毎回旅のような気分が味わえて、行く前は楽しみで仕方ない。
だけど、帰ってきたら心が憔悴しきっている。
答えは単純明快だ。
ことある事に、「そろそろ結婚だな」「早くひ孫が見たいな」「楽しみにしてるぞ」と言う。
一見、ただの祖父母と孫の何気ない会話かもしれない。
でも、僕にとっては違う。
僕はゲイだ。
孫はおろか、結婚もできない。
「僕、ゲイだから結婚も孫も何も無いよ」なんて言えるはずがない。
この、会話が繰り返されることで自分の無力さを痛感する。
なぜ、同棲愛者に生まれたのか。
なぜ、女性を愛せないのか。
自分の中で整理出来ていた気持ちが掻き乱される。
帰ってきた今、自分の存在意義が分からなくなっている。
「今どき、異性愛者でも結婚しない選択をする人だっているし、子供を産まない選択をする人もいるんだから、そんな気にしなくていいよ」と言う人が沢山いる。
100%善意で言ってくれてるとは分かっている。
が、そんな簡単に片付けないで欲しいとも思ってしまう。
彼らはあくまで、「選択」。
僕らは、「不可抗力」。
今日から、どうやって気持ちを立て直そうか。
こうなってしまうと、いつもどうやって気持ちを立て直しているか分からなくなってしまう。
心がしぼみ切る前に生ききらなければ。
辛い
ななしさん
こんにちは。
文章お上手ですね。
読んでいて、お気持ちがひしひしと伝わってきます。
僕もゲイです。
こんな自分が認められず、ずっと悩んでいます。
悩んで悩んで、その末にちょっとだけ自分のことを前向きに捉えられるようになって。
でも何ヶ月、何年と掛けて折り合いをつけたその気持ちも、誰かの無意識なセクシャリティに対する拒絶や差別の発言で簡単に一瞬でへし折られます。
大抵その発言は、本人に悪意のない、無意識に発せられる言葉です。
あなたは祖父母さんのこと、好きなんですね。
祖父母さんもあなたがきっと大好き。
だから子供や孫を期待して、あなたは期待に応えられないことに焦りや罪悪感を感じていらっしゃる。
タチの悪いことに、誰にも悪意がないんですよね。 お互いに好きだから生じる苦しみ。
だからこそ、この気持ちをどこにぶつけたらよいのかわからない、そんな気持ちなのでしょう。
誰も悪くない。
それが苦しい。
どうにかしたくても、
どうにもできないもどかしさ。
理解されたくても、
伝えることも困難なもどかしさ。
僕も経験があります。
もう死ぬまでそういう人生なのだと割り切っています。 なんと虚しい人生か。
プレッシャーに感じないようにしてください。
多分あなたの親と祖父母は、
まだ見ぬ孫よりもあなた自身の方が大事なはずです。
解決策を提示してあげられなくて申し訳ないです。 僕にできることといえば、気持ちを理解できることを示すことだけです。
月並みな表現ですが、あなたは1人じゃない。
どうして僕らはこんな苦しみを背負わされて、生を受けたのでしょうね。 何か意味はあるのでしょうか。
こんなに苦しいのだから、何か意味はあって欲しいね。 苦しみの末に報われたいね。
大丈夫ですよ。
きっと気持ちに折り合いがつけられる日がきっときます。 気長に待ちましょ。